“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
藤原優大が浦和と札幌に送った手紙。
思い出が詰まった埼スタで目指す夢。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/07/24 08:00
昨年度の選手権では決勝で涙を飲んだ青森山田DF藤原。悩み抜いた末、J1浦和への入団を決断した。
「どちらに行っても成長できる確信があった」
「どちらも素晴らしい環境で、どちらに行っても絶対に成長できる確信がありました。浦和はサポーターの熱がすごくて、浦和という街全体が一体となって『浦和レッズ』というクラブをサポートし、一緒に戦っている。今季はスタートから大槻毅監督が指揮をして、やることが明確になってきている印象ですし、プライドを持ってプレーすることに重点を置いているクラブ。浦和にはスピリットがあると感じました。
札幌はミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)のサッカーが本当に魅力的。あのサッカーは誰でも1度は経験したいと思います。クラブハウスや練習場の環境も素晴らしいクラブです。
何より、両クラブのスカウトの方々の熱量が凄まじくて、本当に心を打たれるほどでした。考えれば考えるほど迷いが深くなってしまい、いつしか戦術だったり、自分のプレーがどちらのチームに合うのかをずっと考えていました。両クラブのJリーグの試合も何度も見たのですが、結局は決まらず、『どうしたら自分は決められるのか』と自問に陥って、結局『何をもって決めればいいか』というところに何回も戻ってしまったんです。『誰かに決めてほしい』とまで思う時もありました」
自分でも驚くほど深まる葛藤。もちろん、周囲の人たちにも何度も相談した。悩む藤原を見た黒田監督は、「中途半端な決断は、周りもそうだけど、自分自身に返って来る。だからこそ、納得いくまで悩めばいい。ただ、俺も初めてだよ、ここまで時間がかかって苦しかったの。それほど両クラブは彼を必要としてくれたし、熱意が素晴らしかった」と温かく見つめていた。
浮かんできた埼スタの景色。
答えは本人が出すべき。それは藤原自身もわかっていた。
「黒田監督はずっと僕が結論を出すのを待ってくれましたし、両クラブもギリギリまで回答を待ってくださった。(青森山田)中学の上田大貴監督には『どっちに行っても絶対に成長できるし、最終的には環境よりも本当の成長は自分自身の努力次第だよ』とアドバイスもいただいた。中高の先輩である札幌の(檀崎)竜孔さん(2学年上)、浦和のヒデさん(武田英寿、1学年上)にも相談に乗ってもらいました」
月日はあっという間に、7月に差し掛かっていた。これ以上引き伸ばせない。両クラブや高校に迷惑をかける。藤原はこれまでのいろんな考えを一度捨てて、真正面から自分自身と純粋に向き合った。
「最後は純粋にどちらのクラブに行きたいか、気持ちがどちらに傾いているか。自分のことなんですが、客観的に自分を見つめ直しました。目を閉じて頭の中を空っぽにしてイメージをした時、ふっと埼玉スタジアムで赤いユニフォームを着てプレーする姿が浮かんだんです」