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清原和博、伝説の決勝を再び見る。
「神様がお膳立てしたんだなって」
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2020/08/08 11:40
1985年の夏の甲子園、優勝を決めた瞬間、ホームベースに集まって歓喜した清原和博らPLナイン。
「いつも桑田に比べれば勝利に貢献できていません」
ただ、高校野球においては、常に一塁とマウンドのような距離感にいた。桑田はいつも高いところに独り立っていて、清原がそこに歩み寄ることはあっても、桑田から降りてくることはない。
「僕はいつも桑田に比べれば勝利に貢献できていませんでしたから……。
1年生の夏に準決勝で池田高校を破ってから僕らは急に注目されるようになったんですけど、あの池田戦でも桑田はホームランを打って完封して、僕は4三振です。
あの大会からKKコンビと言われましたが、僕は桑田に比べたら何もしていない。
1年の頃、みんなが先輩に殴られている時にも桑田だけは殴られなかった。それを見て『僕の代わりはいるけど、桑田の代わりはいないんだな』と感じました。だからいつも桑田に比べて勝利に貢献できているのか、ということを考えていました。2年の春も夏も、3年の春も、僕らは桑田が打たれたら負ける。そういうチームでした。4番として桑田が打たれた時に、それを救うということはできていませんでした」
ここに周囲がとらえる清原と、実像とのギャップがある。この最後の夏まで、清原はずっと桑田に対して、このようなコンプレックスを抱いてきたのだ。
ただ不思議と、この決勝戦に限っては、桑田への意識から解放されていたという。ただ一点、それのみ信じられるものが心にあったと言った方がいいかもしれない。
「清原のインコースを攻めろ。逃げるな」
4回、清原に第2打席がめぐってきた。マウンドには古谷友宏がいる。宇部商は不振のエース田上昌徳ではなく、好リリーフでチームを救ってきた背番号11に先発を託していた。右クオーターハンドから繰り出される速球とスライダーは、そこまでPL打線を寄せつけていなかった。
しかし、この時、古谷は人知れず、ある残像に怯えていた。
《初回の清原のセンターフライです。あれがずっと頭から離れなかったんです。普通のフライなんですけど、いつまで経っても落ちてこなくて、その間に、このままスタンドに入ってしまうんじゃないかって怖くなったんです。その怖さが、あの試合中、ずっと消えなかったんです》
そんな古谷がお守りのように持っていたのが、試合前、玉国にもらった言葉だった。
《清原のインコースを攻めろ。逃げるな》