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野球とともに生きるあるトレーナーの、
絶望と希望に揺れたコロナ禍の3カ月。
posted2020/06/29 20:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Hidekazu Tejima
一方、その中で第一線を支える無名の人々の葛藤もまたあった。今回はプロ野球が開幕に漕ぎ着けるまでに、野球人とともに希望と絶望の間を往き来した、あるトレーナーの物語――。
手嶋秀和の「甲子園スポーツトリートメント治療院」は、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場から車で5分とかからないところにある。歩いても10数分の距離である。
その立地は手嶋が野球と共に生きると決めたことの証でもある。
手嶋はプロ野球・阪神タイガースのトレーナーを12年間、務めた。それを辞して独立したのは今年1月のことだ。
人気球団での職をなぜ手放したのか。
理由はプロ野球の最前線にいながら抱えてきたジレンマにあったという。
「痛いところがあると言ってきた選手に、やめておけと言うのは簡単なんです。『この選手は怪我をしています』と監督やコーチに報告すれば、それは球団にとっては良いトレーナーでしょう。ただ、選手はそれによって二軍に落とされ、チャンスを失って、野球人生が終わってしまう場合もある。そういう選手をたくさん見てきました。球団にとって良いトレーナーと、選手にとって良いトレーナーというのはまた別なんです」
止めるべきか。やらせるべきか。
手嶋は組織と個人の狭間で悩んできた。
阪神・島本浩也が育成から成長した姿を見て……。
「本当は二軍と一軍の間にいるような選手も診てあげたいんです。でも、チームとしては毎日試合にでるレギュラーを優先に、1時間、2時間と治療の時間を割いていく事になる。当然ですよね。必然的に、一軍と二軍の境目、もう一歩頑張れば人生変わるというところにいる選手はたとえ診れたとしても10分ほどになってしまう。そうするうちに小さな痛みが大怪我になって潰れていってしまった選手も多いんです」
昨シーズンで言えば、手嶋が胸を熱くしたのはリリーフ左腕・島本浩也が身体のいたるところに痛みを抱えながらも、日々何とかマウンドに立って、1シーズンを投げ続け、オフに年俸3700万円(推定)を勝ち取ったことだ。
球団にとっては特別に大きなことではなかったかもしれないが、育成出身の小柄な左腕にしてみれば人生の大転換点なのだ。
痛くても投げるしかない。人生ここしかないんだ、という選手をなんとかマウンドに立てる状態にしてやること、なんとかバットを振れる状態にしてやること、それこそがトレーナーの仕事だと手嶋は考えていた。
球団のトレーナーをしていては救えなかった個人を救う手はないか。それを考えた末に、独立開業という道にたどり着いた。