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野球とともに生きるあるトレーナーの、
絶望と希望に揺れたコロナ禍の3カ月。 

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byHidekazu Tejima

posted2020/06/29 20:00

野球とともに生きるあるトレーナーの、絶望と希望に揺れたコロナ禍の3カ月。<Number Web> photograph by Hidekazu Tejima

治療院をオープンした直後に、コロナ禍に巻き込まれた手嶋秀和氏。

「ただ痛いから治してくれという選手は成功しない」

  一方、神奈川の鎌倉学園で甲子園をめざした高校球児でもあった手嶋は、アマチュア選手の力になりたいとも考えていた。

「才能がありながら故障で潰れてしまう選手はいます。しかも何度も何度も同じ怪我をしてくる選手が多いんです。だから特にアマチュアの選手には、痛みを取り除く治療だけではなく、人体の構造としてどういう動作をすれば、故障しなくなるのか。そういうことも一緒に考えながら、アドバイスするようにしています。

 プロもそうですが、ただ、痛いから治してくれと言ってくるだけの選手は絶対に成功できません」

新しい人生の第一歩で、いきなりコロナ禍に。

  ベッドが2つ。完全予約制。1対1で個人と向き合う手嶋の治療院には多くの野球人が訪れるようになった。

『きょう今から空いてますか? ちょっと痛みがあるところがあって……』

  チーム内では知られたくない故障を抱えたプロ選手が電話してくる。そんな時は、朝6時からでも、夜中の12時からでも対応した。

  開業当時、保健所に提出する書類に店舗の営業時間を書く欄があったが、手嶋は困ってしまった。開店も閉店も、あってないようなものだったからだ。だから窓口担当者に相談して、そこには「随時」と記した。

「何時から何時までという仕事ではありませんから。いつでも対応できなければ、個人でやる意味がないんです」

  トレーナーとしての手嶋が新しい人生を踏み出した春、そんな時に新型コロナ・ウィルスはやってきた。

  まずセンバツ高校野球が中止となった。

  プロ野球の開幕も延期となった。

  日常から野球を奪われて、戸惑う選手たち。そんな彼らをまず励ましたのは、手嶋の方だった。

「インスタとFacebookに『こんなときだからこそライバルに差をつけよう。これはチャンスなんだ』と、そういうメッセージを発信したんです。そうしたら、呼応してくれる選手が結構いたんです」

  選手たちは手嶋のもとへとやってきた。

『まだ夏がありますから。チームがもう1回集合した時に、見違えるようになっていたいんです』

  ある強豪高校の選手はそう言った。

  プロ野球選手たちもやってきた。

『この期間に身体を治しておきたいんです。今しかやれないことですし、いつ試合が始まるかもわからないですから』

【次ページ】 コロナ禍で、無力感にさいなまれ続けた日々。

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