スポーツはどこへ行くBACK NUMBER
野球とともに生きるあるトレーナーの、
絶望と希望に揺れたコロナ禍の3カ月。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byHidekazu Tejima
posted2020/06/29 20:00
治療院をオープンした直後に、コロナ禍に巻き込まれた手嶋秀和氏。
コロナ禍で、無力感にさいなまれ続けた日々。
ただ、そんな希望をのみ込むようにウィルスによる感染は次々と広がっていった。プロ野球界では阪神タイガースが初の感染者を出すことになり、開幕はほとんど白紙の状態になってしまった。
手嶋は、藤浪晋太郎が入団してきた時から、彼の身体に対する意識の高さを知っていただけに「なぜだ」という思いが強かった。ただトレーナーとして何もできることはなく、やるせない思いで事態を見つめているしかなかった。
そして、ついに夏の甲子園が中止となることが決まった。
「もう絶望ですよ。運命を恨むしかない……。あんなに頑張っていた彼らもさすがに来なくなりました」
手嶋の治療院から球児たちの姿が消えていった。
球団から外出禁止令が出たプロ選手たちもさすがに顔を見せなくなった。
手嶋はただ無力感の中にいた。
球団にいてはできなかったことをやろうと思って、タイガースを飛び出した。
それなのに今、また何もできない自分を直視しなければならない。
全国に緊急事態宣言が発令され、多くの業種に休業要請が出る中、治療院にはそれが出されなかった。
そのことが幸なのか不幸なのかさえ、わからなくなっていた。
甲子園を奪われるという深すぎる絶望を知る男。
ただ、そんな手嶋を無力感のどん底から引き上げたのは、他ならぬ選手たちだった。
しばらくすると、球児が戻ってきたのだ。
『まだ野球は続きますから……』
自分の進路を見据えながら、ひとりでトレーニングを始めている選手がいた。
手嶋もかつて高校球児だった。甲子園を夢見て、最後の夏は神奈川県大会の4回戦で敗れた。
その夢を今は小学生の息子に託している。仕事に少しでも隙間ができれば、近くの公園で子供の野球に付き合っている。
だからわかるのだ。少年時代から、家族の犠牲や協力のもとに目指してきた甲子園を奪われるというのがどんなことか。
その深すぎる絶望から立ち上がり、また白球を手にしようする球児が目の前にいる。その姿に心を打たれた。