フランス・フットボール通信BACK NUMBER
史上最高のワールドカップはどの回だ?
前編・ブラジルは革命的だった。
text by
エリック・フロジオ&バレンティン・パウルッツィEric Frosio et Valentin Pauluzzi
photograph byL'Equipe
posted2020/06/30 11:40
初めて《白いペレ》と呼ばれたトスタン。ブラジルサッカーを牽引し世界をうならせた1人だ。
帰国便のチケットを買っただと!?
――イタリアのグループリーグはずっと厳しく、初戦でスウェーデンを1対0で下した後は、ウルグアイ、イスラエル相手にいずれも無得点の引き分けでした。
M:メキシコの気候条件に適応するのに時間がかかった。とりわけエースのルイジ・リーバ(《イタリアの太陽》と呼ばれた戦後イタリア最高のストライカー)が他の選手よりも苦しんだ。というのも長い距離を走るのが彼のプレースタイルだったからだ。40mをドリブルした後でペナルティエリアでいったん止まり、そこからさらに相手に向かって仕掛けていく。リーバはそんな選手だった。
監督に「ブラジルスタイルでプレーしろ」と言われたとき、「テクニックがずっと上のブラジルのマネなどとてもできない」と、多くの選手が笑い出した(強固な守備システム《カテナチオ》から素早いカウンターアタックを仕掛けるのがイタリアのスタイルだった)。だが、試合では次第に練習通りのプレーが実現できるようになった。
もうひとつ、起爆剤となることがあった。チームメイトのひとりが、チーム役員たちがグループリーグ終了直後のイタリアへの帰国便のチケットを買ったという話を聞いた。選手たちは騒然として「いったいどういうことか、どうすべきか」を話し合った。なかには役員を呼び出して殴りつけようと言い出すものもいた。結局のところ、何も知らないことにしようという結論になった。だが、イスラエル戦に引き分けて準々決勝進出が決まったとき、ロッカールームで役員たちを待ち受けて、思い切り罵倒してやった(笑)。それがグループの結束を固めた。
ブラジルスタイルが成功して。
――準々決勝の相手は地元メキシコで、場所はトルーカでした。
M:いくつかのチームが高度に苦しんでいるのはわかっていた。それを横目で見ながら、「全員がもっと効率よくやれる方法があるのでは?」と考えていた。ただ、メキシコ戦は、高地への順応の時間があったので、フィジカルの違いは問題にならなかった。
だがスタジアムに到着した瞬間から別の苦しみが始まった。ロッカールームの中からでも、10万人(実際には約2.7万人)の大観衆が床を踏みつける音が聞こえた。誰もが不安に駆られた。
「マンマミーア、これからいったいどうなるんだ!?」と。
だから試合のスタートはとても慎重だった。ブラジルスタイルでボールをキープしながら後方で回し続けた。それはうまくいき、やがて少しずつ攻めに転じて最終的に4対1で相手を下した。
(以下続く)