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“魔術師”三原脩からオレ流まで。
名将本に見る「監督の言葉力」。
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byTamon Matsuzono
posted2020/06/26 11:50
自身の野村ノートに目を通す野村氏。著作は100冊をゆうに超える。
西武の広岡達朗は「管理」を嫌った。
自身の考えを言葉にして、書籍を通して多くの人々に説いたのは、野村だけではない。
「管理野球」で名を馳せ、ヤクルト、そして西武を日本一に導いたのが広岡達朗もそのひとりだ。彼の代表作である『意識革命のすすめ』(講談社)で、広岡は自身を象徴する「管理野球」という言葉に疑義を呈している。
『「管理野球」とマスコミは騒ぐ。しかし、私は『管理』という用語は好きではない。強権とか強制とか締めつけなどのイメージが浮かぶからだ。だから、私は、『教育』という言葉は新聞記者を前にしてもよく使うが、『管理』という言葉を、自分から好んで使ったことはない。
(中略)しかし、もし実際にこのような監督の強権行使が優勝に結びついた管理野球の勝利があるとしても、私は魅力を感じない。選手の存在が欠落した勝利だからである。監督だけが自己満足している優勝だからである』
……なるほど。おそらく本人以外のすべての日本人が「広岡野球」を誤解していることだろう。そして、選手たちは確実に「強権とか強制とか締めつけなどのイメージ」を持っていることだろう。しかし実際のところは、広岡野球とは「教育野球」だったのだ。
森祇晶が失敗を愛した理由。
広岡達朗の後を受け継ぎ、西武黄金時代を築いたのが森祇晶だ。森もまた、『覇道』(ベースボール・マガジン社)、『責任者の條件 勝利への九つの設計図』(青春出版社)など、たくさんの「名将本」を出版しているが、ここでは『二勝一敗の人生哲学』(講談社)を紹介したい。
ちなみに、'80年代後半にヤクルトを率いた関根潤三には『一勝二敗の勝者論』(佼成出版社)という著書がある。当時の西武とヤクルトのチーム力の差は書名にも表れるのだ。本書で森は「プロ論」を説く。
『人生の勝ち負けは、当人しかわからない。前述したように、プロとは挑戦し続ける者、勝つ技術を磨き続ける者のことだとしたら、それを実践している者は、自分の人生に勝ち続けているのだと思う。それが本物のプロである。
(中略)自分を必要とする場所で、自分を必要とする人々のために情熱を傾け続ける。そういう生き方ができる人間こそ、一流の男だと思う』
その一例として、西武でエースだったにもかかわらず、現役を続けるために環境の悪い台湾球界で奮闘した渡辺久信の例を挙げるのである。愚直を貫いて一流になる人間は、失敗の中で育っていくしかない。渡辺の生き方はすばらしいと大絶賛なのだ。また、本書には盟友・野村克也についての言及もある。
『私も野村監督もキャッチャー出身で、似たような思考方法をとる。最近は顔つきまで似てきたと言われる。とくに目つきが似てきたそうだが、別にうれしくはない。野村監督もきっとそう言うだろう』
あらためて、'92(平成4)年、翌'93年、西武とヤクルトが激突した日本シリーズを称して「キツネとタヌキの化かし合い」と呼ばれていたことがよみがえる。