サムライブルーの原材料BACK NUMBER
あと一歩まで導いた関塚隆に聞く。
「東京五輪でメダル」に必要なこと。
posted2020/06/01 11:40
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Getty Images
あのとき関塚隆は声を振り絞った。
8年前、韓国に敗れて銅メダルを逃がした後のロッカールーム。選手1人ひとりの顔を見渡していたら、自然と涙がこみあげてきた。
「負けたからと言って恥ずべきことは何もない。ここからが新しいスタートになる。次に向けてやるためにも、顔を上げて帰ろう!」
みんなが顔を上げる。徳永悠平も、清武弘嗣も。
関塚を見る1人ひとりの目に、誇りが灯っていた。ロンドンオリンピックの記憶は、関塚の脳裏に今も鮮明に残る――。
中2日で続いていく強行スケジュール。
徳永、清武に話を聞いた後、新型コロナウイルス感染拡大による政府の緊急事態宣言もあって関塚のインタビューが延期になっていた。
今春からJFA技術委員長を退き、代表チームのサポートに専念するナショナルチームダイレクターに就任。在宅での業務の合間に、リモートでのインタビューをお願いすることにした。
――今振り返ってみてもかなりきついスケジュールでした。ウイークデーの7月11日にニュージーランドと壮行試合を行ない、一度解散して選手は14日にJリーグの試合をこなしてからイギリスへ。18日にベラルーシ、21日にメキシコとノッティンガムで強化試合を行ない、グラスゴーに移動して初戦のスペイン戦が26日でした。そこから試合は中2日で続いていく強行スケジュールになります。
「目の前にオリンピックがあるわけですけど、イギリスに着いたらまずは疲れを取りながら準備を進めていかなくてはいけなかった。フィジカル面のみならずメンタル面も。ベラルーシ戦で(バックアップメンバーを含めて)交代を使ってほぼ全員出場させたのも慣れさせておく必要性を感じたからです」