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「朝までドンチャン騒ぎ…自分を責めたね」張本勲の後悔“じつは清原和博18歳よりスゴかった”1年目「なぜあれほど打てたのか?」張本を知る男の証言

posted2025/05/11 11:02

 
「朝までドンチャン騒ぎ…自分を責めたね」張本勲の後悔“じつは清原和博18歳よりスゴかった”1年目「なぜあれほど打てたのか?」張本を知る男の証言<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

「打者で高卒1年目の新人王」清原和博の前に張本勲が達成していた

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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Kazuhito Yamada

プロ野球“弱小チーム”東映に入団した張本勲18歳。まだ無名だった当時、張本のプロ1年目に迫る。【全3回の3回目/第1回から公開中】

◆◆◆

 ポジションを奪い合う弱肉強食の世界において、先輩のピンチは後輩のチャンスである。だが、張本勲が浪商の先輩・山本八郎を慕う気持ちに変わりはなかった。

 相手捕手への暴力行為で無期限出場停止処分を科された八郎は、その日「無私寮」に挨拶に行き、大阪への帰省を伝えた。同僚たちは「見送りに行く」と言ったが、八郎は断った。しかし、言うことの聞かない若造もいた。

“ケンカ八郎”を慕った…張本の行動

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〈張本がどうしても行くというんで、そんならまぁ、自分の思うようにせいょといったわけですね。先輩後輩の仲だから、兄弟みたいなもんだし……。ぼくが駅に行ったら、もう先にきてたです〉(※14)

 駒沢球場での南海戦が降雨コールドの引き分けに終わると、張本は東京駅に赴く。22時発の急行『彗星』で故郷の大阪に向かう八郎に、「先輩がいない間も一生懸命やって、今までの地位を落とさないように頑張ります」と誓った。見送りに来た同僚は張本、この年阪神から移籍してきた河津宏紀の2人だけだった。

 翌日、張本は南海の皆川睦雄からライト場外へ4号ホーマーを放つ。6月9日まで7試合連続ヒットと頭角を現し、11日には初の3番に。そして、23日には遂に4番に抜擢された。強心臓ルーキーは、プレッシャーよりも喜びを感じていた。

〈やっぱり四番は面白いですよ。ランナーのいるときが多いから〉(※15)

高卒ルーキーが4番に座った日

 8月には月間打率.337を記録し、張本は1年目で不動の4番に定着した。謹慎中、福井県の永平寺で精神修養に励む八郎は、後輩の活躍に感心していた。

〈俺のいない間もよく頑張っているなあ。俺の代わりに四番を打つようになったんだからたいしたものだ。もう俺なんかとても追いつけないところまで進歩してしまったなあ〉(※16)

 八郎が9月2日の大毎戦で復帰しても、張本は4番を渡さなかった。

【次ページ】 張本のち清原…高卒1年目の新人王

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