酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
清原和博に前田智徳、土井正博。
「無冠の帝王」に漂うダンディズム。
posted2020/05/22 11:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Naoya Sanuki(L)/Kazuhito Yamada(R)
筆者が小さいころから格好いいな、と思っている言葉に「無冠の帝王」がある。
実力はあるが栄誉には恵まれない才人、あるいは隠然たる力を有しながら、表舞台には立たない実力者、という感じか。筆者もかくありたいと思うが、今のところ「無冠の平民」ではある。
この言葉、民主主義を守るために権力に屈しない言論機関の記者のことだともいう。またサラリーマンの世界でも、実力も人望もありながら世渡りが下手で、上に取り入ることができず、部長どまりで取締役になれないような人が「無冠の帝王」と言われたりする。
この言葉が広まったのは、プロ野球からだろう。プロ野球でいう「無冠の帝王」とは、十分な実力を有していながら、タイトルや表彰に縁がない選手を言う。
この表現、主として打者に使われる。その多くは同時代に強打者がひしめいていて、レベルの高い成績を挙げても僅差でタイトルを逃がすために、無冠のまま終わった打者だ。
張本や野村と同時代だった土井。
昭和の時代、「無冠の帝王」と言えば土井正博が有名だった。
大鉄高校を中退して近鉄バファローズに入団。当時の別当薫監督に才能を見出され、1962年には18歳で4番を打った。「18歳の4番打者」は、大いに話題になった。
土井はデビュー3年目の1964年には28本塁打98打点、1967年には打率.323(2位)、1971年には40本塁打113打点をマークするが、いずれもタイトルには手が届かなかった。
同時期のパ・リーグには日本一の安打製造機・張本勲、戦後初の三冠王・野村克也の大物2人がいた上に榎本喜八、大杉勝男、長池徳二など錚々たる打者がひしめいていた。
土井は弱小近鉄では不動の4番打者だった。厳しいペナントレースを戦う上位チームの打者と比べるとシーズン終盤のモチベーションに差があったのかもしれない。