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松坂も清宮もいいけどあの世代も!
中年の星・福留孝介、韓国戦の一発。
posted2020/05/23 09:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Naoya Sanuki
野球界では、同い年の選手を「世代」として表現することが多い。
最も有名なのは、西武の松坂大輔が旗頭の「松坂世代」。以後、ヤンキースの田中将大を筆頭とした「田中世代」、最近では、日本ハムの清宮幸太郎が牽引すると期待されている「清宮世代」が挙げられる。彼らは高校時代に、圧倒的なパフォーマンスを誇示して脚光を浴びた。その力に触発されたライバルたちが、追いつき追い越せとばかりに研鑽を積み、プロへ進んで実績を伸ばす。そうやって、世代の印象を年々、強めていく。
筆者が生まれた1977年は「福留世代」である。
福留孝介は、PL学園時代から「世代最強」のスラッガーとして名を轟かせていた。
高校3年の夏に大阪大会記録の7発。甲子園でも2本のアーチを描くなど、通算40本塁打を記録した。'95年のドラフト会議で高校生史上最多の7球団から指名されながら、交渉権を獲得した近鉄への入団を拒否したことも話題を呼んだ。
因縁の相手・韓国に引導を渡した福留の一発。
世代の先頭を走る男は、日本代表の常連でもあった。
高校3年の甲子園後にアメリカ、韓国との親善試合で日本代表の主将を務め、日本生命1年目には、19歳ながらアトランタ五輪の代表に選出。中日に入団後の2004年にもアテネ五輪に出場した。
その福留を語る上で欠かせない1本がある。
'06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。準決勝の韓国戦で放った決勝本塁打だ。それは今も、侍ジャパンの歴史に色濃く刻まれている。
予選から2度も辛酸を嘗めさせられた相手に引導を渡した一発。日本の世界一を大きく手繰り寄せるパフォーマンスを発揮しながら、当の福留はあの時、喜びとは別の感情も去来していたのだという。
「たまたま、ああいう結果になっただけで。打てたのはよかったですけど、代打っていうのは自分としては本意ではなかったですから。そういう部分では悔しさはありました」
本来ならば、福留はこの大会に出る予定はなかった。
ヤンキースの松井秀喜が出場を辞退したことで、いわば「代役」としてオファーされたわけだが、一度は「辞退しよう」と考えていたという。