酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
清原和博に前田智徳、土井正博。
「無冠の帝王」に漂うダンディズム。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byNaoya Sanuki(L)/Kazuhito Yamada(R)
posted2020/05/22 11:30
前田智徳(左)と清原和博。平成の30年間を知る野球ファンであれば、2人の打棒を思い出すのは容易だろう。
清原もまた強打者の陰に隠れた。
「平成の無冠の帝王」と言えば、清原和博の名前が浮かぶ。
PL学園時代、甲子園ですさまじい打撃を見せてドラフト1位で西武に入団。1年目の1986年10月には4番を打つ。清原は1967年8月生まれだから18歳ではなく、惜しくも「19歳の4番」だった。ちなみにこのときの西武の打撃コーチは「18歳の4番」の土井正博だった。
1年目に31本塁打を打った清原が打撃タイトルを取るのは時間の問題だと思われた。しかし通算525本塁打1530打点を記録しながら、打撃三部門のタイトルにはついに縁がなかった。
新人王、最高出塁率2回、最多勝利打点1回。これが清原のタイトルのすべてだ。
清原和博の場合も門田博光、ブーマー、落合博満、秋山幸二など同時代の強打者の陰に隠れてしまった不運があったといえよう。
前田の場合は怪我に苦しんだ。
広島の前田智徳も無冠の帝王に終わった。熊本工時代から天才打者と言われ、イチローとは天才打者同士で「肝胆相照らす」仲だと言われた。11回も打率3割(規定打席)をマーク、2119安打295本塁打、1112打点をマークしながら、打撃三部門には縁がなかった。伸び盛りの頃に、怪我が相次いだことが痛かった。
ここまで紹介した無冠の帝王たちは、通算では立派な成績を残しているが、誰も野球殿堂入りしていない。殿堂入りの選考では通算成績に加えて打撃タイトル、表彰なども考慮される。こういう勲章関係が弱い無冠の帝王は、殿堂入りでもやや不利なのではないかと思う。
現役では、意外な選手が「現代の無冠の帝王」になっている。
広島時代、走攻守揃った身体能力の高い外野手として活躍し、巨人にFA移籍した2019年も期待にたがわぬ活躍を見せた丸佳浩だ。彼は2013年に盗塁王のタイトルを獲得しているが、3割を3回マークしながら打撃主要タイトルは獲得していない。