オリンピックへの道BACK NUMBER
バドミントン強国への第一歩だった。
男子団体、初の世界制覇を振り返る。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byREUTERS/AFLO
posted2020/05/25 11:00
2014年、バドミントン男子の団体世界一決定戦「トマス杯」で優勝した日本代表。これが今の隆盛の第一歩だった。
「バドミントンはメジャーなスポーツではないので」
勝負は拮抗した。第1ゲームを先取したものの第2ゲームは逆転で失い、ファイナルゲームへ。互いに点を取り合いながら推移する。それでも上田が差をつけ、21-17で勝利。大の字に倒れ込んだ上田に選手たちが折り重なった。
28回目を数える歴史ある大会での初優勝の瞬間だった。
帰国時に到着した空港には、多くの取材陣がつめかけた。
主将を務めた早川は、驚きを隠さなかった。
「こういう場面に出会えるとは」
驚きの理由は、次の言葉にあった。
「バドミントンはメジャーなスポーツではないので」
2004年アテネ五輪、願いは跳ね返された。
今日では、男女各選手、ペアの活躍もあって、ニュースとなる機会も多い。
以前はそうではなかった。
競技人口は多くても、決して注目度が高いとは言えなかった。選手や関係者が「メジャーなスポーツではない」という実感を抱いていた。
状況を変えるには、オリンピックで好成績を残すしかない。
そんな願いとともに挑んだのは、2004年のアテネ五輪だ。だが、願いは跳ね返された。
男女合わせてシングルス5名、ミックスも含めダブルス4組が出場し、女子シングルスで1人が初戦を突破して2回戦に進んだのが唯一の勝利に終わったのだ。
その後、大きな変化を自ら成し遂げていった。
ナショナルチームのヘッドコーチに、韓国の名選手であった朴柱奉氏を招き、強化のテコ入れを図った。
小中学生の年代から全国的な組織を整え、育成に注力した。