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私のJ最強クラブ。ポンテが微笑み、
指揮官ギドが叫んだ'06年浦和の衝撃。
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/14 20:00
歓喜の瞬間、両手を挙げて喜びを表したギド・ブッフバルト。スタジアムに詰めかけたサポーターへ感謝の言葉を述べた。
多彩な中盤、存在感を放つ闘莉王。
分厚い選手層は、多彩な選手起用を可能にした。ポンテとの2シャドーで開幕から先発していた小野が負傷離脱すると、右アウトサイドの山田暢久がシャドーに移り、MF平川忠亮が右サイドへ。ポンテが出場停止になると、MF長谷部誠がボランチから上がってシャドーに入り、MF鈴木啓太が出場停止の試合では、山田がボランチを務めた。ドイツ・ワールドカップによる中断期間中にワシントンとポンテが負傷し、不在となった中断明けは、復帰した田中達や永井が前線で結果を出している。
3バックの中央では、DF田中マルクス闘莉王が別格の存在感を放っていた。ブッフバルト監督とともに浦和に加入して3年目、当時25歳。右にDF坪井慶介、左に堀之内聖を従え、指揮官の思いを体現するような気迫あふれる守備に加え、大胆な攻め上がりやセットプレーから貴重な得点も決めた。
アドバンテージを作り出した埼スタ。
毎試合スタジアムを埋めた熱狂的なファン・サポーターの存在も語り落とせない。この年のホームゲームの1試合平均観客数は4万5573人で、全17試合中15試合で使用した埼玉スタジアムに限れば4万9411人。日本最大、アジアでも最大級のサッカー専用スタジアムは、まさに『赤い要塞』と化した。
相手の選手が受ける圧力は、当時清水エスパルスを率いていた長谷川健太監督が、敗戦後に「埼玉スタジアムの雰囲気にのまれたように見えた」と語ったことからも容易に想像できる。この年、浦和がJ1リーグで喫した6敗はすべてアウェーゲームだった。
G大阪や川崎フロンターレと上位争いを繰り広げながら、第25節で首位に浮上。坪井と堀之内が負傷離脱しても、DF内舘秀樹、DFネネが穴を埋めた。第32節で優勝に王手をかけ、次節での優勝こそならなかったものの、勝ち点と得失点差でリードし、3点差で負けなければ初優勝という有利な状況で、2位のG大阪との最終決戦を迎える。