熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。
「中澤に俊輔、小野は超一流だ」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2020/05/13 20:00
Jでもブラジルでも問題児だったエメルソンだが、現在はコロナ禍のブラジルで慈善事業に取り組んでいる。
母国で大失態から世界の頂点へ。
その後は、レンヌ(フランス)などを経て2009年、子供の頃から憧れていたフラメンゴに入団。この年のブラジルリーグ優勝に貢献する。アルアイン(UAE)を挟んで2010年6月、フルミネンセへ入団し、ここでもブラジルリーグを制覇する。
しかし2011年4月、コパ・リベルタドーレスの試合前、スタジアムへ向かうバスの中で宿敵フラメンゴのファンの間でヒットした歌(「フラメンゴ列車は止まらない」)を歌ってクラブ関係者を激怒させ、チームから追放されてしまう。やむなく、サンパウロのコリンチャンスへ移籍した。
ところが、この大失態が結果的に吉と出る。またしてもブラジルリーグで優勝し、翌2012年、コパ・リベルタドーレスの決勝第2レグ(対ボカ・ジュニオルズ)でチーム全得点(2点)を叩き出して優勝の立役者となる。さらに、クラブ・ワールドカップでも決勝でチェルシーを撃破して世界の頂点を極めた。
その後、ボタフォゴなどを経て2018年、コリンチャンスに復帰し、この年の末、40歳で引退。以後クラブのテクニカル・コーディネーターを務めていたが昨年末、辞任した。そんな流浪のサッカー人生を送るエメルソンに、日本時代の思い出、自身のキャリアなどを聞いてみた。
札幌、浦和……最高の勲章だ。
――日本でプレーしていた頃の最大の思い出は?
「若くして日本へ渡ったわけだけど、この選択は俺にとって大正解だった。
日本人は皆、とても礼儀正しくて、他人への思いやりがある。日本で過ごした5年半で、俺は選手としても人間としても大きく成長した。
札幌で優勝と昇格に貢献できたし、浦和でも重要なタイトルを取ってファンに喜んでもらえた。彼らの笑顔が、僕にとって最高の勲章だ」
――とはいえ、日本ではピッチ内外の問題行動で話題を集めました。頭を抱えたクラブ関係者が少なくなかったようです。
「ああ、あれね……怪我の治療で遅れたこともあったし、家族の問題で来日できないこともあった……」
――当時の自分を振り返って、今、どう思いますか?
「若かったから、多少の間違いをしたかもしれない。そのことで周囲の人に迷惑をかけたのであれば、謝るしかないな……」
――日本で最も苦しめられたディフェンダーは?
「横浜F・マリノスの中澤(佑二)。大柄で、パワフルで、インテリジェンスもあった。でも、ハードではあっても汚いプレーはしない。素晴らしいディフェンダーだった」
――当時の選手で最も評価していた選手は?
「一番好きだったのは、中村(俊輔。当時横浜F・マリノス)。魔法のような左足の持ち主で、状況判断も素晴らしかった。シンジ(小野伸二、当時浦和)は、とてつもないテクニシャン。まるで南米の超一流選手のようだった」