熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。
「中澤に俊輔、小野は超一流だ」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2020/05/13 20:00
Jでもブラジルでも問題児だったエメルソンだが、現在はコロナ禍のブラジルで慈善事業に取り組んでいる。
俺にとっての重圧とは銃撃戦だ!
――母国ブラジルでは、異なるチームで個人としてリーグ3連覇という偉業を達成。コリンチャンスでは南米王者、世界王者となり、サポーターからは永遠のヒーローとして敬愛されています。
「ずっと外国でプレーしていたから、2009年にブラジルへ戻ってきたとき、国内では全く無名だった。でも、結果的にブラジルを代表する複数の超ビッグクラブで活躍し、母国でも認めてもらえた。これまでの苦労がすべて報われた思いだ」
――コリンチャンスでは、重要な試合でことごとくゴールを決めました。試合前、プレッシャーは感じなかったのですか?
「プレッシャーだって? 俺にとってのプレッシャーとは、周囲で銃撃戦が起きているあばら家で、怖さとひもじさに震えながら、横になっても全く眠れない夜のことを言うのさ。
狂ったような形相の相手サポーターに『殺してやる』と罵られたところで、本当に殺されるわけじゃない。きれいな芝生の上で、真新しいユニフォームを着て、数万人の観衆の前でフットボールができる。そんなの、俺にとってはプレッシャーでも何でもない」
――日本と同様、母国でもトラブルメーカーとして名を馳せました。フルミネンセでいろいろあったし、コリンチャンスでもチーム練習に再三遅刻して罰金を科せられ、ついにはヘリコプターで練習場に駆けつけて話題になりました。
「フルミネンセでは、当時の流行歌をちょっと口ずさんだだけ。ヘリコプターで練習場へ行ったのは、時間に遅れそうになったからさ」
今は慈善活動に力を注いでいる。
――現在の活動について教えてください。
「2018年末、リオ郊外に貧しい子供、青少年らを援助するNGO『エメルソン・シェイキ基金』を設立した。以来、慈善活動に力を注いでいる」
――また何らかの形でフットボールの世界へ戻ってくる気持ちは?
「人生では、何が起きるかわからない。チャンスがあれば、また何かやるかもしれない」
――日本のファンへのメッセージを。
「4つの外国でプレーしたけれど、最も印象深いのが日本。いつか戻って、多くの知人、友人と旧交を温めたい」
リオで、元ブラジル代表CFロナウドの生家を取材したことがある。貧しくて危険な地域にある小さくて粗末な家だったが、それでも床にはタイルが敷いてあり、もちろんトイレもあった。
ブラジル人選手の多くは貧しい家庭の出だが、その中でもエメルソンが強いられた環境は飛び抜けて過酷だった。
十分な学校教育と家庭教育を受ける機会に恵まれなかったことは、容易に想像できる。現役時代、彼が多くのトラブルを起こした最大の理由は、そこにあるはずだ。