熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。
「中澤に俊輔、小野は超一流だ」
posted2020/05/13 20:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
とにかくスピードがあり、とにかく点を取り、とにかく問題を起こす――。あらゆる点で、規格外の男だった。
まるで背中に羽でも生えているような軽やかな足取りでマーカーを引きちぎり、右足から強烈なシュートやぐにゃりと曲げたシュートを叩き込んだ。勝負強さも、群を抜いていた。
その一方で、ラフプレーや審判へのクレームなどでFWとしては異常な枚数のカードを集め、大事な試合を欠場する。練習に遅刻したりすっぽかしたりは、日常茶飯事。不可思議な理由をでっち上げて母国へ帰ると、期日までに戻ってくることはほとんどなかった。
本名は、マルシオ・パッソス・デ・アウブケルキ(「エメルソン」の名はどこにもない!)。1978年12月6日、リオ郊外の貧しい家庭に、2人兄弟の末っ子として生まれた。
一家の住居は、町で最も危険な地区にある小さなバラック。床は土が剥き出しで、トイレすらなかった。小さなパンやわずかなご飯を皆で分け合い、空腹を抱え、土の上に敷いた薄いマットレスの上に雑魚寝した。
母が実年齢より3歳近く若返らせた。
小さい頃からボールを蹴るのが大好きで、地元の名門中の名門フラメンゴの大ファン。プロ選手になって貧困から抜け出すことを夢見たが、栄養不足のため体が貧弱。周囲の評価は低かった。
「このままでは、息子はプロになれない。一家もこの状況から抜け出せない」と考えた母親が、窮余の一策を思いつく。彼が17歳のとき、「1981年12月6日生まれのマルシオ・エメルソン・パッソス」として出生証明書を作り直した。実年齢より2歳9カ月若い「エメルソン」が出現したのである。
ブラジルでも公文書偽造は重大な犯罪だ。
しかし、母親は法を犯してでも息子の未来をこじ開けようとした。後に「息子の年齢を偽ったことは全く後悔していないわ。もしそれをせず彼の将来を閉ざしていたら、その方が後悔していたでしょうね」と涙ながらに語っている。
そして1996年、「エメルソン」はこの偽の証明書を持って名門サンパウロFCのU-15の入団テストを受けて合格した。