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悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。
「中澤に俊輔、小野は超一流だ」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2020/05/13 20:00

悪童エメルソンが日本に謝罪&感謝。「中澤に俊輔、小野は超一流だ」<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

Jでもブラジルでも問題児だったエメルソンだが、現在はコロナ禍のブラジルで慈善事業に取り組んでいる。

実年齢21歳の“18歳”が札幌に。

 育成年代で、2年9カ月のアドバンテージは絶大だ。当時同じチームにいた後のブラジル代表MFカカより将来性がある、とまで評価され、1998年、17歳(実年齢は20歳)でトップチームに昇格。翌年のブラジルリーグで8試合に出場して2得点をあげた。

 もし本当に18歳なら、どのクラブも「金の卵」として大事に育てる。しかし、サンパウロFCの役員が彼の年齢詐称を察知する。ブラジルサッカー連盟から処罰を受けることを恐れ、期限付き移籍を画策。そのレーダーにかかったのが、コンサドーレ札幌(J2)だった。当時のチームは1998年ワールドカップで日本代表を率いた岡田武史が1999年から指揮していた。

 1999年末、札幌への1年間の期限付き移籍が決まる。18歳という触れ込みだったが、本当は21歳だった。

 年齢は偽っていても、「カカより上」と評された実力は本物だった。J2では別格の存在で、ピッチを縦横に駆け回り、面白いように得点を重ねた。34試合に出場して31得点。ぶっちぎりの得点王に輝き、チームを優勝とJ1昇格に導いた。

 サンパウロFCはエメルソンの完全移籍を求め、激しい争奪戦の末、川崎フロンターレ(当時J2)へ。2001年には川崎でも18試合で19得点と大暴れしたが、あまりにも問題行動が多く、8月に浦和レッズへ移籍した。

浦和でもゴール量産したが……。

 舞台がJ2からJ1へ変わったが、この男には全く関係なかった。

 2003年、ナビスコカップで8得点をあげてクラブ史上初のタイトル獲得の立役者となり、Jリーグで18得点をあげて年間MVPを獲得。2004年はJリーグで26試合に出場して27得点と大爆発し、チームのセカンドステージ優勝に貢献した。しかし2005年7月、ファンの思いをよそにアルサッド(カタール)へ去った。

 日本での成績はJ2で52試合に出場して50得点。1試合当たりの得点は、実に0.96点である。

 そのうちJ1では100試合に出場して71得点。1試合当たり0.71点で、50試合以上に出場した選手の中で4位。J1とJ2を合算すると、152試合で121得点。1試合当たり0.796得点というとてつもない数字になる。

【次ページ】 母国で大失態から世界の頂点へ。

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