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最強ジュビロがテヘランに抗った日。
アジア制覇の価値はまだ低かった。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/04/30 11:40
中山雅史31歳、名波浩26歳、まさにジュビロの黄金期真っ只中の1999年だった。
前年でドゥンガが去り、決勝は純和製チーム。
それでも、アル・アインにはPK戦で勝利した。もうひとつの試合では、エステグラルが大連万達を4-3で下した。
アジア最恐と言ってもいいアウェイの空間へ、ジュビロは飛び込んでいくこととなった。
準決勝から中1日で行われた決勝戦には、10万人の観衆が集まったと言われている。実際はもっと多かったに違いない。ホームチームをサポートするためには、限界まで観客を入れるのがお決まりのパターンだからだ。
'98年4月にスタートしたこのシーズンのアジアクラブ選手権に、ジュビロは’97年のJリーグ王者として出場している。クラブ史上初の年間王者に輝いたチームには、闘将と呼ばれたドゥンガがいた。しかし、ボランチのポジションから相手にも味方にも睨みをきかせたブラジル代表主将は、'98年のシーズンを最後に去った。
ブラジル人センターバックのアジウソンも、ヒザのケガによる長期離脱を強いられている。テヘランへ乗り込んだジュビロは、“純和製”のチームだったのである。監督も日本人の桑原隆だ。
中山、名波、藤田ら最強の布陣。
助っ人外国人を必要としないくらいに、戦力が充実していたのは確かである。'98年のフランスW杯メンバーのDF服部年宏、MF名波浩、FW中山雅史がいて、日本代表経験を持つDF鈴木秀人、MF藤田俊哉、奥大介らがいる。CBの田中誠は服部や鈴木とともに’96年のアトランタ五輪に出場しており、名波とダブルボランチを組む福西崇史は6月に国際Aマッチデビューを飾ることになる。
前線にはプロ2年目の高原直泰がいた。このシーズンは開幕から3試合連続でスタメン出場していたが、ワールドユース出場のためチームを離れていた。テヘランへの遠征にも同行していない。
'99年4月30日、アザディ・スタジアムのピッチに立ったジュビロは、超満員の観衆を2度も沈黙させた。36分に鈴木が、45分に中山がゴールを奪う。
66分に1点差に詰め寄られるものの、2-1のまま逃げ切った。ありったけの憎悪が込められた罵声を、力のない悲鳴に変えていったのだ。観客が通路へと急ぐ試合のピッチで、主将の中山がカップを高々と掲げた。