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横浜フリューゲルス、最後の2カ月。
楢崎正剛「優勝より寂しさの方が」

posted2020/05/02 08:00

 
横浜フリューゲルス、最後の2カ月。楢崎正剛「優勝より寂しさの方が」<Number Web> photograph by Shinichi Yamada/AFLO SPORT

天皇杯で有終の美を飾った横浜フリューゲルス。喜びと切なさが交錯する中、若き日の遠藤保仁、三浦淳宏らの姿も懐かしい。

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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Shinichi Yamada/AFLO SPORT

 楢崎正剛の言葉がすべてを物語っていた。

「(1点リードしていて)残り時間が少なくなってきて、それなのに『終わらんといてくれ』という気持ちもあって……」

 1999年元日、天皇杯決勝。先に失点し、同点に追いついて、後半勝ち越した。2対1とリードして、チャンピオンまで残りわずか。

 しかし、試合終了を告げる笛は、彼らにとって文字通り“最後のホイッスル”でもあった。

 午後3時半、快晴の国立競技場に、歓喜の、そして惜別の瞬間が訪れる。

 横浜フリューゲルス、日本一。そして消滅――。

 ピッチになだれ込んだ選手、スタッフたちが拳を突き上げながら泣いていた。ゴール裏でもサポーターたちが飛び跳ねながら、やっぱり泣いている。

 表彰式で選手会長の前田浩二は胸を張って思いをぶつけた。

「フェアなことをしてください」

 山口素弘が、カップを掲げた後、初めて漏らした。

「この2カ月間、まともに練習なんてできなかった。みんなの精神状態は言葉では言えない。僕自身気持ちを切らさないようにするのが精いっぱいだった。本当に、この2カ月間、本当にしんどかった」

 いまから21年前、雲ひとつない青空の下、横浜フリューゲルスは日本サッカーの頂点に立ち、同時にその歴史に幕を下ろした。

 それは清々しいフィナーレだった。

第一報はトルシエジャパン初陣の夜。

 第一報がもたらされたのはトルシエジャパンの初陣、エジプト戦の夜だった。記憶が鮮明なのは経済部記者からの電話を受けたとき、大阪ミナミの居酒屋で新監督の初采配に口角泡を飛ばしていたからだ。

 国中が盛り上がった日本代表のワールドカップ初出場から4カ月後、新たな日本代表が長居スタジアムでスタートを切ったその夜、悲劇は発覚したのだ。

【次ページ】 「合併?」ときょとんとした。

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