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小林大悟が語る米サッカーと代表。
「キングカズが目指してるんだから」
posted2020/04/30 20:30
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph by
AFLO
近年、日本サッカー界において海外組は決して珍しい存在ではなくなった。
2018年のロシアW杯日本代表メンバーを見れば、23人中実に15人が海外クラブの所属だった。現代表の久保建英は10歳からFCバルセロナのカンテラで育っている。
そしてクラブの選択肢が増えたのは、なにも代表クラスの選手だけでない。高校の早期卒業措置を使ってドイツ・ハンブルガーSVに渡った伊藤達哉のような選手もいるし、もっと広く見れば高校卒業時点でJリーグのクラブから声がかからず、ドイツなどでアマチュアリーグを選択する若者に出会うこともよくある。
実力と、日本を飛び出す勇気さえあれば、身の丈にあった海外でのクラブを探し出し、プレーすること自体のハードルは年々下がっている。
欧州、日本、そしてアメリカへ。
そんな数え切れないほどの海外組がいるなかでも、独特のキャリアを積み重ねているのが小林大悟だ。
初めて海外でプレーしたのは2009年2月ノルウェーのスタベイクだった(ノルウェーリーグは日本と同じ春秋制)。2010年からはギリシャ・スーパーリーグのイラクリス・テッサロニキに移籍。そして2011年1月からは清水エスパルスでプレーした。
清水で2シーズン過ごすと、今度は欧州ではなく北米を拠点にするようになる。2013年1月MLSのバンクーバー・ホワイトキャップスに完全移籍し(MLSも春秋制)、2014年シーズンからはニューイングランド・レボリューションでプレー。このシーズン、チームは好調でMLSカップ決勝戦に進出し、小林は途中出場ながらこの決勝戦にも出場している。アメリカ王者にあと一歩のところまで肉薄したわけだ。
ニューイングランドで4シーズンプレーした後の2018年はUSLチャンピオンシップ(独立リーグだが事実上MLSの2部相当)のラスベガス・ライツFC、2019年からはバーミンガム・レギオンFCに所属し2シーズン目を迎えていた。
幼い頃から海外志向だったというわけではない。日本を飛び出しての勝負を望むタイプでもなかった。繊細な技巧派MFだった小林が、サッカー文化の根付いた欧州を経て、サッカーに関しては後発のアメリカで活躍を続けている。いかに我が道を切り開き、今に至るのか。
現在アラバマの自宅にいる小林にビデオ通話を通じて話を聞いた。自由な外出ができなくなり、チームの練習もビデオ通話をつなぎながら行われるのだという。また、運動量をアプリで管理され「四六時中監視されてるのと変わらないよ」と笑う。