モーターサイクル・レース・ダイアリーズBACK NUMBER
MotoGP史に今も輝く加藤大治郎。
ロッシをも恐れさせた永遠の天才。
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2020/04/27 18:00
世界グランプリに参戦して、わずか2年あまりでその頂点に手をかけるまで、一気に駆け上った加藤大治郎。
無敵のスター、ロッシに唯一対抗できるライダー。
現在、ロードレース世界選手権には、3つのカテゴリーがある。
Moto3(当時は125ccクラスと呼ばれた)、Moto2クラス(同じく250ccクラス)。そして、最高峰クラスのMotoGPクラスである。
Moto3とMoto2クラスは、これまで日本人チャンピオンが何人も誕生しているが、MotoGPクラスだけは、いまだに実現していない。しかし、'01年に250ccクラスで史上最多のシーズン11勝を挙げてチャンピオンに輝いた大ちゃんは、MotoGPクラスでもチャンピオンになれる選手だと、僕は確信していた。
当時のMotoGPクラスは、エンジンが2ストローク500ccから4ストローク990ccに変わるターニングポイントの時期だった。ホンダの生え抜きライダーだった大ちゃんは、ほぼ同世代で、同じくホンダのライダーとして2年早く500ccクラスにチャレンジし、'01年にチャンピオンになっていたバレンティーノ・ロッシを追う立場にいた。
このときすでにロッシはスターであり、その後、無敵を誇るスーパースターへと成長を遂げるが、ロッシの連覇を止められるのは大ちゃんしかいない、と当時は目されていた
その頃、絶対的な強さを誇っていたロッシ――そのライバルになれるかもしれないと期待されたライダーが数人いたのだが、例えばライダーとしての能力を10項目に分けて比べると、そのうちの5項目、6項目ではほぼ同じ能力を持つが、他の3項目、4項目ではロッシに圧倒的に劣っていた。だから、結局誰もロッシに勝てなかったわけだが――大ちゃんだけは違っていた。
身体が小さいという如何ともし難い理由でロッシに対して5項目で負けていたのだが、それ以外の3項目、4項目でロッシを上回っていたのである。
だからロッシも大ちゃんを誰よりも意識し、常に脅威に感じていたようだった。
いまでも思うのだが……もし、大ちゃんが死ななかったら、ロッシはヤマハに移籍していかなかったのではないか。
新型マシンに乗った初レースでいきなり2位。
大ちゃんが初めて最高峰クラスに出場した'02年は、レースを始めたころからの憧れのマシンであり、この年が最後のシーズンとなるチャンピオンマシンのNSR500で1年目のシーズンを戦うことを決めた。
開幕前のウインターテストでは、スペインのバルセロナとヘレス、オーストラリアのフィリップアイランド、ツインリンクもてぎでサーキットレコードを次々にブレイク。ルーキーながら、250ccクラスで無敵を誇った大ちゃんのあまりの速さに世界が注目することになった。
一方のロッシは、'03年以降、MotoGPクラスの主流になることが決まっている4ストロークエンジンのRC211Vに乗ることを決める。その理由は簡単で「RC211Vの方が速い」というものだった。
'02年はその言葉通りのシーズンとなり、ホンダだけではなく、ライバルメーカーが投入する4ストロークエンジンのMotoGPマシンも速く、その中でロッシが圧倒的な強さでチャンピオンを獲得する。
一方、非力なNSR500で表彰台に立つも、なかなか勝てない大ちゃんにホンダは、シーズン後半、4ストロークマシンのRC211Vを投入する。そしてテストなしで挑んだチェコGPでいきなり2位に。実際のところ、このレースもタイヤトラブルがなければ優勝できたレースだったと思う。その後、ツインリンクもてぎで開催されたパシフィックGPで初PPを獲得するなど随所に光る走りを見せるも、トラブルや転倒などで初優勝は'03年シーズンに持ち越すことになった。
その最初のレースが、鈴鹿で行われた'03年の日本GPだったのだ。