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呂明賜、南海と阪急身売りに10.19。
昭和最後の野球は平成を先取った。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byMakoto Kenmizaki

posted2020/05/04 11:30

呂明賜、南海と阪急身売りに10.19。昭和最後の野球は平成を先取った。<Number Web> photograph by Makoto Kenmizaki

新装なった東京ドームを本拠地とした巨人。その目玉補強は呂明賜だった。

掛布の引退、南海ラストゲーム。

 バブルの兆しが見え始めた大阪の一等地にあって、常に閑古鳥が鳴いている大阪球場の存在が問題になりつつあった。川勝オーナーに代わった南海の吉村茂夫オーナーが、中内功社長率いるダイエーへの売却を決めたのだ。

 この日、二軍落ちしていたミスタータイガース掛布雅之が大阪で引退を宣言する。1985年の劇的な優勝からわずか3年、手首への死球を受けるなど満身創痍での引退だった。

 関西の野球ファンにとっては、忘れられないショッキングな日になってしまった。

 9月16日、大阪球場での南海―阪急戦。阪急の塩辛声の応援団長が、三塁側のスタンドから「南海ホークス、さいならー!」と大声で叫んだ。一塁側は声もなし。

 このころ大阪球場に、南海本拠地最終戦のチケットを買いに行った。すでに一塁側は売り切れていて、三塁側しかなかった。しかし球場内の「ハードロック・カフェ」には誰もいなかった。コーヒーを飲みながら、閑古鳥しかいないこの球場がいっぱいになるとは想像もつかなかった。

 10月16日、南海ホークス最後の日。相手は近鉄。3万2000人の大観衆の前で、南海ナインはファンに最後のお別れをした。「毎試合これくらい来ていれば身売りなんかせずに済んだのに」。個人的にはそう思った。

「行ってまいります」杉浦忠監督が観客席にあいさつをして、南海ナインはグラウンドを一周した。姿を見せた吉村オーナーにスタンドから「お前もダイエーに買うてもらえー」と言う声が飛んだ。

近鉄に待ち構えていた「10.19」。

 しかし近鉄ナインは「南海最後の日」の感傷に浸っている余裕はなかった。西武ライオンズとデッドヒートを繰り広げていたのだ。

 そして10月19日がやってくる。この日のダブルヘッダーでシーズン終了。西武は10月16日に73勝51敗6分、勝率.589で一足先にフィニッシュ。近鉄は73勝52敗3分、勝率.584。ゲーム差0.5。勝率で西武を上回るためには、連勝する以外になかった。

 川崎球場は、超満員の3万人。第1戦は3-3で最終回に1点を入れた近鉄が、エースの阿波野秀幸をクローザーに起用して逃げ切る。

 余談だが、筆者は当時勤めていた会社の残業のために梅田の定食屋で夕食を食べながらテレビ中継を見ていたが、あまりにすごい展開のために、思わずビールを頼んでしまったほどだった。

【次ページ】 試合中に阪急身売りのニュースが。

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