酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
呂明賜、南海と阪急身売りに10.19。
昭和最後の野球は平成を先取った。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2020/05/04 11:30
新装なった東京ドームを本拠地とした巨人。その目玉補強は呂明賜だった。
なぜか福本も引退することに。
そして試合終了後、グランドに整列した阪急ナインを前に、上田利治監督がファンにあいさつをした。しかしここで思わず「去る山田、そして福本」と言ってしまった。
山田久志と同期の福本豊は引退する気はなかったが、上田監督の言葉で引退を決意したという。当時の夕刊紙には「監督が(皆さんの前で)言うたんやから」という福本の言葉が大きく踊った。人柄がよく表れている。
福本と同学年の門田博光は40歳にして本塁打王、打点王。MVPにも輝いた。ちなみに40歳でのMVPは、2019年時点でも門田だけだ。
その一方で東京ドームでの本塁打は前年の後楽園球場と比較してどうなったかというと……セ・リーグ主催試合が125本から79本。パ・リーグ主催試合が109本から72本と大きく減少した。しかし今では東京ドームは「ホームランが出やすい球場」に変貌しているのだから、時代の変化を感じる。
この年の日本シリーズは西武が4勝1敗で中日を下しているが、シーズン中のあまりにも濃厚な話題の前に影が薄くなった。
32年後の今にして思えば、昭和最後のシーズンである1988年は「ドーム球場」、「球場の大型化」、「アジア出身選手の活躍」、「電鉄系球団の撤退」、「球団の地方移転」、「パ・リーグへの注目度の高まり」、「高齢選手の活躍」など、その後のプロ野球のトレンドが、一挙に萌芽した年のように思う。
2020年は全く別の意味で、節目の年になるのは間違いない。ウイルス禍が明けるときに、どんな歴史が、我々の目の前に広がっているのだろうか。