酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
呂明賜、南海と阪急身売りに10.19。
昭和最後の野球は平成を先取った。
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2020/05/04 11:30
新装なった東京ドームを本拠地とした巨人。その目玉補強は呂明賜だった。
試合中に阪急身売りのニュースが。
そのころ、ちょうど同時進行で「阪急も身売り」というニュースも飛び込んでくる。
「オリエント・リースって何の会社や」と同僚と話したのを覚えている。オリエント・リースは翌年、オリックスと社名を改めるのだ。
第2戦も7回まで3-3、近鉄は8回に1点を奪い、また阿波野を投入するが高沢に一発を食らって並ばれる。
この日の中継は大阪・朝日放送が担当していたが、系列のテレビ朝日の全国中継になる。多くの番組が消えて、ついに看板ニュース番組の「ニュースステーション」まで久米宏キャスターの英断で、中継が延長されたのだ。
かくいう筆者も定食屋から会社に戻ると、仕事そっちのけで会社のテレビに見入っていた。
9回裏、ロッテの古川慎一の走塁をめぐって有藤通世監督が猛抗議。当時の規定では、4時間を過ぎて新しいイニングに入らないことになっていた。有藤監督の9分にわたる抗議によって、この試合は10回で打ち切られることになった。
最下位だったロッテ有藤監督の“空気を読まない”抗議に、我々テレビの向こうの視聴者は切歯扼腕したものだ。
阪急最後の試合もロッテと対戦。
近鉄に残されたのは10回表だけ。3番ブライアントは一ゴロ失策で出塁したが、4番オグリビーは三振。羽田耕一の併殺打で近鉄の優勝は夢と消えた。
10回裏、ロッテの攻撃が残っていたが、球場もテレビ中継のマイクも、静かなものだった。試合はそのまま結局引き分け。優勝した西武と近鉄の勝率差はわずか1厘4毛だった。
この球史に残る「10.19」は梨田昌孝、吹石徳一、ベン・オグリビーらにとって現役最後の試合になった。
10月23日、阪急ブレーブスも最後の日を迎える。本拠地は変わらなかったが、プロ野球設立以来の「阪急」という暖簾を53年目にして降ろすことになったのだ。
この日もロッテとのダブルヘッダーだった。
2試合目の先発は山田久志。9回自責点1で完投したが、この試合を最後に引退。通算284勝だった。