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トルシエが振り返る中村俊輔の一撃。
「日本の運命を変えたゴールだった」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAFLO
posted2020/04/18 11:50
1998年11月23日、U-21日本対アルゼンチン。中村俊輔のゴールが、トルシエにある決断をさせた。
世代交代の必要性を確信した試合。
――それ以前にあなたは、A代表の初戦としてエジプトと戦いました(1998年10月28日)。またタイ・チェンマイのU-19アジア選手権を視察し、黄金世代という素晴らしい宝物を発見しました。
「エジプト戦は、アルゼンチン戦との比較という点で大きな意味があった。(中山雅史の)PKで先制した試合で、あの時点での日本のサッカーだった。既存の力、フィジカルの強さを用いて勝利を得ることができた。
だが、プレーのコンセプトの観点からは、タレント性が欠如していた。フランスワールドカップのチームには高いディシプリンと厳格さ、フィジカルの強さがあったが、私が料理を始めるための素材や要素を欠いていた。
だからエジプト戦は、アルゼンチン戦と比較したときに、若い世代をベースにすることを確信させた試合だった。私には多くの選択肢はなかった。フランス・ワールドカップを戦ったチームはすでにピークを過ぎて高齢化し、世代交代は不可欠だった。
タイに視察に行って、U-19世代のクオリティの高さを確信した。それにアルゼンチン戦のゴールが拍車をかけた。私はこの世代とともに始めることを何の迷いもなく、とてもスムーズに決断できた」
宮本、稲本、小野だけでなくみんな良かった。
――試合のダイジェストを見直しましたが、とてもアグレッシブなうえにすでによく組織されていました。
「よく組織されたうえに3バックも機能していた。アグレッシブでプレスもしっかりとかけていた。あのチームにはすでに宮本(恒靖)がいたし、稲本(潤一)や小野(伸二)、戸田(和幸)、市川(大祐)もいた。ディフェンスは誰だったか? 古賀(正紘)と宮本と……」
――戸田です。
「中盤は石井(俊也)……」
――彼と稲本がボランチで、市川が右で中谷(勇介)が左でした。前はトップが福田(健二)で、トップ下が小野と中村でした。GKは南雄太です。他にも明神(智和)と高原(直泰)、古賀弟(誠史)が交代で出場しています。
「われわれは3-4-2-1のシステムでプレーした。戦術的にはすでに私のプロジェクトになっている。おそらくは初めてそれを経験する選手たちとともに、固有のストラテジーをすでに採用していた。
知られていない選手たち――中谷も、古賀もとても良かった。私が発見したのは彼らのフレキシビリティだった。適応能力が高く、戦術的要求にしっかりと応えられる。戦術面における能力の高さ、即座に要求を理解し、ピッチ上で表現できる能力を見出した」