ぶら野球BACK NUMBER
他者の本の中のノムさんはリアルだ。
古田、片岡スカウト、吉井、克則。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKyodo News
posted2020/04/19 11:40
古田敦也と野村克也、2人の師弟関係の始まりは「眼鏡のキャッチャーはいらん」だった。
激情のいてまえ投手はなぜ懐いたか。
この古田とバッテリーを組み3年連続二ケタ勝利を挙げたのが、近鉄から移籍してきた吉井理人だ。吉井と言えば、若い頃はKOされると怒り狂ってベンチで暴れたり、投手交代を告げられた際にボールをボレーキックして二軍落ちという武勇伝を持つデンジャラスな男だった。
だが、30歳での転職(トレード)でやってきた新天地で、ノムさんはそんな暴れん坊ピッチャー吉井にこう忠告するのだ。
「自分が弱っているところを他人に見せるようなものや。腹が立っても我慢せい」
しかし、吉井は自著『投手論』(PHP新書/2013年)の中でこう分析している。自分の場合、暴れることは次に向けて気持ちを切り替えるスイッチみたいなものだと。
これを我慢していたら食うか食われるかの勝負の世界で生きていけない。ストレス発散で酒を飲むくらいなら、この性格を利用した方がマシじゃないか。そして、怒っていない時でも怒った顔をして、「吉井は悪い時だけでなく、いい時でも怒っているな」と思わせるようにしたのである。
これならいつもマウンド上で不機嫌なので、怒っていてもそれが敵に弱っていることを見せているわけじゃない……という強引なロジックだったが、野村監督はその意図を理解して何も言わなくなったという。
球界一の理論派監督と激情のいてまえ投手。一見ウマが合わなそうな2人だが、「ミーティングなんかアホちゃうか」と馬鹿にしていた一匹狼が、ノムさんの野球論に触れているうちに熱心にミーティングでノートを取るようになり、事前に用意した知識のおかげで、ピンチの場面で心の中に芽生える不安を拭えるようになる。
やがてマウンドでも何か新しい野球の発見がないか考えるクセがついた。
ヘルメット叩き割り伝説を持つ吉井。
そして、感謝をこめて吉井は書くのだ。「意外と思われるかもしれないが、野村監督ほど選手の気持ちを優先させる監督はいない」と。
ピンチになって普通ならもう交代だろうなと心配になってベンチを見ると、野村監督はデンと構え、そわそわしてない。投手コーチと相談する素振りも見せない。もうオマエに任せたぞという腹を括った采配だ。そうなると、投手も監督の信頼に応え踏ん張ろうと奮闘する。
ちなみに吉井は近鉄では鈴木啓示監督と衝突したし、メジャー移籍後に先発降格を言い渡された自チームの監督に対して、ボスの目の前に自分のヘルメットを持っていきバットで叩き割る事件を起こしている。中継ぎなら打席に立つこともなくなるからヘルメットもいらんやろと抗議の意志表示……ってムチャクチャだ。
会社員がテレワーク中にブチギレて、パソコンのディスプレイを部長の自宅玄関前まで運び叩き割ったら即クビでも文句は言えない。そう考えると、ノムさんは吉井の性格の長所や短所を見抜いた上で、気持ちよくプレーできるよう巧みにマネージメントしていたように思える。