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高校時代の山田哲人はやる気なし!?
驚異的成長で気づけば大打者へ。
posted2020/04/19 20:00
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Kyodo News
彼はあの時から一度も後ろを振り返っていないのではないかと思う。
プロ野球史上初となる3度のトリプル3を達成したヤクルト・山田哲人のことだ。
彼のプロ入り以前を振り返った時、これほどの選手になると、いったいどれほどの人間が想像できただろうか。プロ野球の世界でレギュラーを取ることはあっても、大記録を次々に達成する選手になろうとは……。
思い返すと、高校2年生だった2009年の秋から翌年の春にかけての山田の評価は、プロのスカウトやメディアの中でも二分していた。
素材は誰もが認めるところだったが、試合におけるインパクトに欠けていたからだ。
山田自身の意識もまた低かった。
山田の恩師・履正社の岡田龍生監督がこんなことを話していたものだ。
「ええ素材を持っているのにもったいない選手やなって、僕だけではなくてコーチたちといつも話題にしていました。もっと真剣に取り組んだら、持っている才能が開花するのにと思っていました。
モチベーションを高めようと色々したんですけどね、山田には響かなかった。そんな程度の取り組む姿勢なんやったら、公立の学校でやりゃええのにと思うくらいでした」
高校2年の秋。運命のPL戦。
もっとも、チームに悪影響を与えたというわけではない。
練習態度は真面目で、チームメイトとの関係性も良好だった。誰かの足を引っ張ったり、チームの空気を悪くするようなことも一切なかった。
「でも、努力するわけではなく、『将来、野球で飯を食っていく』というような想いをもっているようでもなかった」というのがチームの共通認識だったのである。
そんな山田を劇的に変えたのが、2年秋の大阪府大会だった。
準々決勝のPL学園戦で3-5で敗れ、翌春のセンバツ出場権を逃した後、劇的に意識に変化が生まれたのだ。