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高校時代の山田哲人はやる気なし!?
驚異的成長で気づけば大打者へ。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2020/04/19 20:00
履正社高校時代の山田哲人。類稀な才能は、高校2年の秋を過ぎてから、ようやく実力を発揮し始めたそう。
自らのミスでの敗戦を意識し、劇的に変化。
この試合は7回まで3-3で推移した。だが、8回に山田の守備のミスから失点。試合終盤のチャンスでも山田が凡退して敗れたゲームだった。
この試合について、山田はのちにこう回想している。
「自分のミスで失点して、バッターボックスでも結果が出なかった。どうでもいい試合では打てるのに、相手がPLとか大事な試合になると結果が出ない。“ココイチ”弱いなと、それを痛感させられた」
岡田監督からすれば「山田のせいで負けた」という印象ではなかったのだが、この試合を境に山田は意識を大きく変化させ、「努力」するようになった。
「『あれ、ほんまに山田か?』と」
フリーバッティングのたった1本すら無駄にしなかった。頭の中で場面を想定してバッターボックスに立ち、自分にプレッシャーを掛けることで日々成長していったのだ。
岡田はいう。
「秋の大阪大会が終わってからは本当にびっくりする意識の高さでしたね。スタッフと練習を見ながら、『あれ、ほんまに山田か?』と冗談を交わすくらいでした。それくらい意識の変わり方がすごかった」
年が明けて春になると、山田は見違えるように成長していた。
春の大阪大会を制すると、近畿大会に出場。スカウトの評価もこの頃から変化し始めていた。そして、夏の大会は山田の人生を大きく好転させた。
府大会・4回戦でPL学園と対戦。
2点ビハインドで迎えた9回表。1死二、三塁の好機で打席に立つと二遊間を抜ける同点適時打を放った。奇しくも、同じドラフト候補としてライバルと目された吉川大幾(巨人)の横を抜く痛烈な打球だった。