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獣神サンダー・ライガー爆誕秘話!
藤原喜明、船木誠勝らと運命の出会い。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/04/24 19:00
アントニオ猪木に可愛がられたデビュー当時の山田恵一。タッグチームとして戦うこともあった。
猪木が用意した後楽園ホールでのデビュー戦。
山田は合宿所の電話番をしながら、練習に明け暮れた。
山田にとってのヒーローは「強いもの。特にアントニオ猪木とゴジラ」だった。
入門から8カ月が過ぎた頃、猪木が言った。
「オマエどこでデビュー戦がやりたい?」
山田は「両国国技館」と答えたいところだったが……グッと堪えて「後楽園ホール」と返事をしたという。
結局、山田のデビュー戦には1984年3月3日の後楽園ホールが用意された。「国技館」と答えていたらどうなっていたかは分からない。
同日、長年のライバルとなる佐野直喜もデビューしている。
船木との交流で掌底打ち、浴びせ蹴りが誕生。
練馬の草野球場がデビュー戦(1984年9月1日)だった橋本真也に、山田はその後もずっとうらやましがられていた。1つ年下の橋本や、中学卒業直後の15歳で入団してきた船木優治(現・船木誠勝)とはウマが合った。
喧嘩芸骨法に引き込んだのも船木だった。もともと猪木が船木を骨法に連れて行ったもので、山田が初めての海外修行から帰ってくると、山田は船木が試合で使う骨法式の蹴りに興味を持った。
最初は「自分は手足が短いし、関節の可動域が狭いから無理かな」と山田は思ったと言うが、骨法は実に山田のスタイルに合っていた。山田と船木は、それぞれ原付バイクに乗って多摩川沿いの野毛の道場から東中野の骨法道場に通っていた。
この時、ライガーにはなくてはならない掌底打ちや浴びせ蹴りを習得したのである。