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半端ない悪ガキ・橋本真也&ライガー。
新日の“伝説のいたずら”を検証!
posted2020/04/25 19:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
EsseiHara
「ライガーをサーカスの猛獣たちのオリに閉じ込めるつもりです。ライオンや虎の脇のオリだったら最高でしょう!」
モスクワの街を散歩しているとき、突然、橋本真也がこんなことを言ってきた。
獣神サンダー・ライガーを猛獣たちのオリに入れて鍵閉めて帰っちゃおう、というものだ。とんでもないいたずらである。
1989年の暮れ、新日本プロレスはペレストロイカ時代のソ連・モスクワで試合をした。試合はモスクワ五輪のメイン会場ルージニキ・スタジアムに隣接する約1万人を収容するスポーツアリーナで行われたが、その3日前の夜、レスラーたちは公式行事の1つとしてボリショイ・サーカスに招待されていた。
もちろん、猛獣がいない空っぽのオリではあるのだが、橋本らしい突飛な計画だった。「そんな馬鹿な? どうせ口だけでしょう?」と皆さんは思われるかもしれないが、橋本は氷点下10度のモスクワの街で平気で裸になる男である――当然、本気だったと思う。
バルコニーの特別席からサーカスを見ていたライガーはそんな橋本のいたずらプランを知る由もなかった……。
このいたずら計画、結局、橋本にはそのチャンスが訪れず、実行に移されることはなかった。
公式行事には内務省関係者も同行していて、バスでの移動も警察車両が先導していたから、橋本もさすがにマズいと思ったのかもしれない。
こうして橋本が計画した、ライガーのサーカスのオリ監禁計画は未遂に終わった。
砂浜に埋められるのは定番のいたずらではあるが……。
1991年の春、沖縄の名城ビーチで休日に焼肉大会をした時のことだ。
レスラー30人くらいと記者たちが参加して、沖縄にあった「アントン牧場」で育った牛を1頭丸ごと食べるというイベントだった。アントニオ猪木や長州力、武藤敬司、蝶野正洋、馳浩らもいた。合わせて50人くらいだったが、さすがに1頭は食べられなかった。でも、かなり食べた。うまい肉だった。
焼肉にもビールにも飽きて、ボートに乗ったりして遊んでいたが……突然ライガーたちが猛然と砂浜を掘り始めた。穴は大きくかなり深い。
この時のいたずらの生贄は、まだデビューして3カ月の山本広吉(天山)らだった。