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獣神サンダー・ライガー爆誕秘話!
藤原喜明、船木誠勝らと運命の出会い。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/04/24 19:00
アントニオ猪木に可愛がられたデビュー当時の山田恵一。タッグチームとして戦うこともあった。
グラン浜田と山本小鉄との出会いで「裏口入学」。
ある日、連れ立って釣りに出掛けた時に浜田が山田に言った。
「今度、新日本プロレスがテレビ撮りでメキシコに来るよ。試合もするから解説で来る山本小鉄さんに紹介してやるよ。おまえは日本でやった方がいいよ」
1983年6月12日、かつては格式ある闘牛場だったスタジアム「エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス」でUWA系のビッグマッチが開催された。日本から来たタイガーマスクらスター選手の試合も同時に行われた。
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山田もドキドキしながら試合を見た。そして試合後、浜田から山本を紹介されたのである。
こうして、日本に戻った山田は新日本プロレスの正式な入門テストを受けることなく、憧れの新日本プロレスに入ることができたのだ。
この話をすると「裏口入学でしたね」と今も本人は楽しそうに笑う。
師匠・藤原喜明と道場内でボコボコの喧嘩を。
当時、新日本プロレスは会社の方針として体の小さい選手はとらなかった。抜群の運動神経をもっていた佐山聡が、新日本プロレスに入門したこれまでで一番小さい選手だった。
その佐山はメキシコ、イギリスでの武者修行を経て、タイガーマスクに変身を遂げたことにより人気を得ていた。
そんな時期、山田は新日本プロレスに入って練習を始めたわけだが、道場での信じられないような荒々しいエピソードが山ほどある。
その1つが、新人・山田にとって師匠となる藤原喜明との喧嘩だ。
山田は、師匠にちょっとからかわれただけで「ぶっ殺してやる」と本気になってしまったのだ。ボクシング・グローブを付けたまま、藤原に挑みかかっていった。結局マウントを取られてボコボコにKOされて……気が付いたときには誰かに運ばれていて合宿所のソファーの上に寝かされていたのだそうだ。
藤原はそんな山田の気性が気に入って「小さいが、面白いのが入って来た」とアントニオ猪木に報告したという。
「プロレスラーは強くなければいけない。強くあれ。しっかりした体を作れ」
猪木や山本の言葉を守って、ライガーは練習した。とにかくがむしゃらに練習した。まさに練習の虫だった。時には「ぶっ殺してやる」と叫びながら――。