“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
田中亜土夢が再びフィンランドに。
サッカーと水墨画に魅せられる日々。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAtomu Tanaka
posted2020/03/25 20:00
再びフィンランドに戻った田中亜土夢。水墨画と出会ったことでサッカーの捉え方も変わったと話した。
「フィンランドは新潟に似ている」
それはピッチ外でも同じだった。
「フィンランドは住みやすくて、人が優しいし、街並みも綺麗。天候もどこか新潟と似ている。もちろん北欧なので冬の寒さはフィンランドの方が断然上ですが、寒すぎるので空気が本当に綺麗で、空も澄んでいるんです。雪もサラサラで夜には月明かりで白く光るし、ちょっと北の方に行けばオーロラも見える。あとはサウナ。フィンランドには普通に自宅にサウナがあるし、公共サウナには近くに湖や海があって、サウナに入った後にそこに飛び込むんです。冬だと氷をくり抜いてそこに入る。まさに大自然に包まれている中で物凄い開放感を味わえるんです。
それだけじゃありません、大の犬好きでもある僕にとっては、フィンランドは犬と一緒に生活する上で本当に最高の環境でもあったんです。一緒にカフェに入れるし、地下鉄やトラムにも、飛行機にも自由に乗ることができる。あちこちに広いドッグパークが沢山あって、犬が本当にのびのびと過ごせる環境なんです」
フィンランドという国、その文化や風土に、自分の心が動かされていくのがわかった。ヘルシンキでも背番号10番を背負った。トップ下として1年目はリーグ31試合に出場し、プロ10年目にしてキャリアハイとなる8ゴールをマーク。2年目は怪我もあり、リーグ17試合出場にとどまったが、それでも5ゴールをマークした。
モヤモヤした3年目、水墨画と出会う。
迎えた3年目。チームの中でも絶対的な主軸として君臨していた矢先、田中の心にモヤモヤとしたものが引っかかっていた。
「3年目なので相手からかなり研究をされて、マークがかなり厳しくなった。トップ下のポジションで相手のプレスに潰されることが多くなったんです。明らかにボールロストが増えているのに、それでも監督は僕を使い続けてくれました。僕が調子を上げるためにサイドハーフにポジションを戻してくれるなど、本当に重宝してもらった。そこで、逆に自分の中で『この環境に甘えているんじゃないか』と考えるようになったんです」
ちょうどこの時、自分の人生を変えるもう1つの出会いを果たしていた。それが今や田中にとって欠かせない「顔」となっている水墨画家としての原点だった。
水墨画とは鮮やかな色彩を使う絵画とは違い、白い紙に墨の色のみで描く絵画のことだ。彼がフィンランドに来たばかりの頃、友人の紹介でヘルシンキに住む画家の川地琢世を紹介されたことが始まりだった。
川地は画家になるために大学卒業後にアメリカに渡り、5年下積みをした後に、イタリアで3年、スペインで4年を過ごし、スペインでフィンランド人の妻と出会い、2007年に結婚を機にヘルシンキに住み始めた。当初は油絵を得意としていたが、画家としての幅を広げるために水墨画も描いていた。2人は家が近かったこともあり、すぐに仲良くなり、田中が川地のアトリエで絵画に触れる機会が増えた。
最初は「凄いな」と思う程度だったが、怪我に苦しみ、サッカーで悩むことが増えた時に友人から「気分転換にも絵を描いてみたら」と言われたことが、水墨画家になる大きなきっかけだった。