“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
田中亜土夢が再びフィンランドに。
サッカーと水墨画に魅せられる日々。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAtomu Tanaka
posted2020/03/25 20:00
再びフィンランドに戻った田中亜土夢。水墨画と出会ったことでサッカーの捉え方も変わったと話した。
個展をできたのは、サッカー選手だからこそ。
サッカー面ではC大阪での激しいポジション争いの前に苦しい時期が続いた。ベンチ外を多く経験し、U-23チームのメンバーとしてJ3リーグにも出場をした。終わってみればリーグ戦出場は自身のキャリアで2番目に少ない6試合に留まった。
「現実を突きつけられた。苦しかったのは間違いないけど、絶対に腐ってはいけないことだけはわかっていたので、常に良い準備をしてチャンスが来た時にどれだけ結果を残せるか。それをずっと自分に言い聞かせていましたね」
シーズンオフに地元・新潟で自身初となる水墨画の個展を開いた。そこで多くの人たちが集まり、自分の作品を見てくれたり、SNSなどで反響を目の当たりにしたことで、「自分の違う一面を見せられたことが嬉しかったし、もっと水墨画が上手くなりたいと思えた。でも個展を開けたのも僕がプロサッカー選手であるからこそ。やっぱりサッカーももっと上手くなって、みんなを喜ばせたいと強く思った」と、より向上心に火がついた。
さらにその後も、東京と大阪でも個展を開いた。その時にも改めて来場者の反応を見て、「もっとサッカーでも笑顔を見せないといけない」という思いも湧き起こっていた。
C大阪2年目のシーズンはレギュラー獲得とまではいかなかったが、1年目より周りの信頼を掴んでスーパーサブとしてリーグ21試合に出場。J1第26節の浦和レッズ戦での決勝弾を含む、2ゴールを挙げるなど、着実に結果を残していった。
ヘルシンキとの契約は半年。
しかし、2シーズンを終えたオフ、チームから「契約満了」を提示された。移籍先を探す際にJリーグからのオファーがない現実をも突きつけられた。それでも、田中の心は折れなかった。
「サッカーを諦めたくなかった。日本でオファーがないのなら、もう一度海外でチャレンジしたいと思えたんです。『新たな自分』を見つけることができた海外に行けたらまた成長できるかなと。熱心にオファーをくれたのはHJKヘルシンキだけでしたし、僕の中でここは『第二の故郷』だと思っているので、もう一度世界でステップアップするためのチャレンジをしようと決断しました」
行くところがないから戻るわけではない。安心できる場所だから戻るわけではない。サッカー選手としての再チャレンジのスタートの場を「第二の故郷」に求めたのであった。
「周りからは『フィンランドで現役を終えるの?』という声もありました。そうではありません。ヘルシンキとの契約を半年にしたのも、ここからステップアップするために、この時間の中で前回以上の結果を出すしかないという覚悟の上で戻ってきました。サッカー選手としてステップアップするという野望だけは絶対に消してはいけないし、消えた時が潮時だと思っています」