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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(2)
カストロとモハメド・アリと湾岸戦争。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/02/27 19:00
フィデル・カストロとの初めての出会い時には、カストロも愛飲したという日本酒で乾杯。2人とも心ゆくまで酔った。
戦争を目の前に、スポーツで何ができる?
イラクの空港に猪木と共に降り立つと、やたらと体の大きい男が歓待してくれた。聞くと、イラクのオリンピック委員会の一員で、猪木とはレスリングを通じての交流があるらしかった。
イラクのサレハ国会議長とは、9月に続いてすぐに2度目の会談をすることができた。
ところが、猪木が開催したいと申し込んでいたスポーツによる「平和の祭典」の会場選びがこの時点ではまったく進んでいなかった。
猪木は、計画が完全に暗礁に乗り上げてしまったと感じたそうだが、ほうぼう手を尽くしているうちのひとつ、芸術省という省庁を訪問すると突然、開催への道が開けることとなった。そこにいた担当大臣の「分かりました」というひと言で、12月のバグダッドでの「平和の祭典」の開催が決まった。
戒厳令下のバグダッドで毎朝ジョギングの猪木。
この随行時、筆者もAPのカメラマンにならって「バグダッドの街を走る猪木を撮ろう!」と目論んでいた。
2人で申し合わせて、朝一緒にホテルを出たのだが……猪木にスピードをあげられて、右も左も分からないバグダッドの街中でひとり、大きく引き離されてしまった。すれ違う何台もの車のクラクションが、重いカメラを手にゼイゼイ喘ぎながら走っている私に「ガンバレ!」と応援してくれた。猪木の行き先の当たりをつけながら、もがくように走っていると……サダム・フセインの銅像の前で私を待ってくれている猪木の姿が目に入った。
猪木は「APとロイターのカメラマンはしっかりついてきたぞ」と言って笑っていた。
猪木が独力で切り開いた「平和の祭典」への道。
バグダッドでの「平和の祭典」では、サッカーや音楽などの他に、猪木(新日本プロレス)が主催しているのだから当然プロレスもラインナップされていた。
プロレスではアメリカからバッドニュース・アレンが参加してくれることが決まり、日本側の新日本プロレスからは長州力、マサ斉藤、馳浩、佐々木健介らがバグダッドに入ることになった。
ところが彼らをイラクへ運ぶチャーター便の交渉がまた難航した。
日本の航空会社は安全が保障できないことを理由に首を縦に振らなかった。
そんな中、トルコ航空だけが要請を呑んでくれた。そのチャーター便には、人質となっている人の夫人ら家族46人と、祭典に参加するレスラーと歌手、それに報道陣が搭乗していた。