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祝喜寿アントニオ猪木の伝説検証!(2)
カストロとモハメド・アリと湾岸戦争。
posted2020/02/27 19:00
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
NumberWebでは、喜寿を迎えてますます盛んなこのレジェンド・ファイターの数多くのエピソードを、写真家・原悦生の文章で振り返ることで祝辞に代えるべく、コラムを編んでみました。果たして“あの伝説”の真相は何だったのか……。第2回目は「VIPとして世界を股にかけた活躍を」です。
1990年3月、キューバの日本総領事館。ドアを開けて、部屋に入るとフィデル・カストロがソファに座っていた。
キューバ国家評議会議長――世界史の教科書で良く見た、あのカストロだ。
その隣に座るアントニオ猪木と、なんとも楽しそうに自然な会話をしていた。その雰囲気は、30分前に初めて会ったようにはまったく見えなかった。
ジョン・F・ケネディとカストロの時代。世界が核戦争の脅威に直面した「キューバ危機」は私も子ども心によく覚えていた。ケネディは1963年に暗殺されてしまったが、カストロはまだ健在だった。
キューバ革命において、カストロはチェ・ゲバラと共に伝説となったのだ。目の前の老人は、まさに「生ける伝説」だった。
私はそろそろとカストロに近づくとカメラのシャッターを切り始めた。その距離は2メートルもない。カストロはジロッと視線を投げてきた。
「私は新聞記者が嫌いなんだ」とカストロ。
「昔は新聞記者だったけれど、今は写真家だ」と私がすぐさま答えると、「好きに撮れ」というお許しのひと言が返ってきた。
カストロとは泥酔して仲良くなった。
しばらくして始まった和食の食事会は、カストロが大好きという日本酒で始まった。猪木がカストロにお酌をして、それをカストロがうまそうに飲み干していた。
食事が始まって2時間くらい経っただろうか、体の大きい2人が肩を組んで突然部屋から出てきた。
2人とも呆れるほど上機嫌で、完全な酔っ払いだった!
カストロの頭には、いつものあのトレードマークの帽子がなかった。なぜか猪木が、カストロのお気に入りの帽子をかぶっていた。
これが初対面の時のエピソードだが、その後も猪木はキューバを訪問する度にカストロに会っていた。どうやらキューバにおける観光事業の推進に関して、猪木はキューバ政府から何らかのアドバイスや助力を求められていたようだ。
カリブ海に沈んでいる海賊船の財宝をサルベージ船で引き揚げるというプランも政府関係者と真剣に話し合われたという。夢のある話だったが……海底にたい積している厚い砂の層がそれを拒み、結局その話は流れたそうだ。
そんなカストロも、2016年に亡くなっている。