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【追悼 野村克也】<ノムラの監督論>
野村克也「世渡り上手の時代やな」
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/02/11 13:00
南海ホークス時代の1965年に戦後初の三冠王に輝くなど、球史に残る大打者、そして名捕手として活躍し、現役引退後は、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス、そして社会人野球のシダックスで、監督としてその辣腕を振るいました。この偉大なる野球人の逝去を悼み、Number Webでは2015年の独占インタビュー記事を特別に再配信いたします。
俺がよく言っている「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という言葉があるけど、そのリーダーが今の時代は監督じゃなくてオーナーになっている。ソフトバンクが強豪になったのだって、MVPは監督の工藤じゃなくて孫正義オーナーだよ。金は出すけど口は出さないだなんて、監督としてこんなにやりやすい環境はない。
楽天を退任するときにオーナーに言ったんだけど、今はお金で勝利を買う時代ですよ、と。育成にも限界がきている。俺が言った通り、'13年にメジャーリーガーのジョーンズとマギーを獲得して日本一になっちゃった。もはや采配の力量というよりも、編成の力量が結果を左右するようになったね。星野仙一みたいな采配も編成もやるっていう、「昔ながらの監督」はもういなくなったよ。
今の時代の監督っていうのは、たかだか2年とか3年の契約期間でしょう。そんなに短くちゃ、保身に走ってしまってチーム作りも何もできませんよ。私の時代の三大名監督である三原脩、水原茂、鶴岡一人のお三方はみんな長いことやった。鶴岡監督なんて20年以上も南海の監督をやっていたからね。そうすればじっくりと後継者を育てることができるし、今年のどこかの球団みたいに慌ただしく後任を決めるなんてこともないわけだよ。
俺もオーナーに恵まれたことがあったな。引退してからは高卒の俺が他球団で監督なんてできるわけがないと思って、日本一の評論家になろうとテレビ解説を頑張った。そうしたら、ヤクルトの相馬和夫球団社長が訪ねてきて、「いつも解説を聞いていたけれど、野村さんこそ本当の野球を知っている人だ。うちの選手たちにもそれを教えてほしい」なんて言ってくれたんだよ。俺は「来年、即優勝しろと仰るならできません」と言ったんだけど、「5年かけてでもお願いします」と言うんだ。理解のある社長だったよ。監督をやりたいと思っている元選手は、解説でもどんな仕事でも頑張ったらいい。誰かが見てくれているから。
しかし、真中が監督になるようなタイプだとは思わなかったけどなあ。やっぱり外野手っていうのは打つだけの人たちであって、守りのことを本当に考える機会はないんだから。みんな守備に就いたときでも、打席でのイメージトレーニングをしているでしょう。でも真中もそうだったけど、私が率いていた頃のヤクルトの選手はみんな真面目だったな。キャンプ中に毎日1時間、座学の時間を設けたんだけど、一生懸命メモを取っていたもん。こっちも話し甲斐があったね。キャンプをアリゾナでやっていたのも良かったのかもしれない。遊びようがないから、24時間野球漬けで。そういう文化を真中が持ち込んだから、今年のセ・リーグで優勝できたのかもしれないな。
しかし、今季監督になっているのは世渡りの上手いヤツばっかり。原とか中畑とか栗山とか、明るくて軽いタイプだよな。リーダーとしての能力よりも、人気とかキャラクターが大事なんじゃないの。俺みたいな暗くて嫌味ったらしい人間は、絶対に雇ってもらえないよ。そう考えると、俺は良い時代に生まれたもんだ。
野村克也
1935年6月29日、京都府生まれ。南海時代は兼任監督も経験。ヤクルト、阪神、楽天でも監督を務めた。解説者。