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PL学園野球部・研志寮の抑圧、忍耐。
理不尽の先の光と清原和博。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa
posted2020/02/08 11:30
練習グラウンドに隣接した研志寮には、野球部の選手全員が暮らし、1つの部屋に3学年の選手数人が同居していた。
「娯楽室」で10分、20分、30分。
この「集合」と呼ばれる罰則は、2階の一番端にある「娯楽室」でなされることが多かった。
8畳ほどの部屋には窓があったが、磨りガラスのようになっていて外からは見えにくかった。入室すると1年生たちは両腕を前に伸ばし、空気椅子の体勢になり、そのまま上級生の指導を受ける。
10分、20分、30分……。時計の針が一周するのが永遠のように感じられた。次第に限界に達した者が膝をガクガクさせ踊り始める。冬でも汗が床にポタポタ滴り落ち、その熱気で窓はびっしょりと結露し、中の様子は外からまったく見えなくなった。
「それが1時間とか続くんです。僕らにとって、あの部屋は地獄室でした……」
大抵はメンバー入りできない上級生からの抑圧だった。野球に人生をかけたサバイバル。失望は嫉妬となり、怒りに変わり、やがて狂気になった。脱落者がさらなる脱落者を求める狂気である。
戻る方がよっぽどキツイのに。
野々垣たち1年生の中に野球の才能ではプロ間違いなしと言われる逸材がいた。だが、彼は入学間もないある日、娯楽室での説教に耐えかねて、何事かを叫びながら上級生の群れにひとり突っ込んでいった。翌日から彼の姿は消えていた。
そして何事もなかったように、また研志寮の1日が始まる。朦朧とする意識の中、野々垣は初夏の頃、最初の脱走をした。
「もう限界でした。訳もわからず逃げていました。どうやって帰ったのか覚えていなくて、気付いたら桜井の実家にいました」
そうして何日かを家で過ごした後、寮に舞い戻った。また数日すると脱走し、また戻る。そんなことを何度繰り返しただろうか。いつしか野々垣は“PL学園史上2番目の脱走記録を持つ男”になっていた。
「自分でも不思議なのは、もうダメだ、今度こそ辞めようと思っても、いつも寮に戻っていることです。逃げるより、戻る方がよっぽどキツイんです。でも戻ってしまう。やっぱり、僕は、あのホームランが忘れられなかったんだと思います……」