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PL学園野球部・研志寮の抑圧、忍耐。
理不尽の先の光と清原和博。
posted2020/02/08 11:30
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Katsuro Okazawa
Number983号(2019年7月25日発売)の特集から特別に全文掲載します!
そこにはもう夢の跡すらなかった。
平成最後の2月、片岡篤史は久しぶりに大阪・富田林にある母校PL学園を訪れた。グラウンドに人影はなく雑草が伸びていた。そして、バックスクリーンの向こうにそびえていた「研志寮」がちょうど重機によってコンクリート塊となり、さらに粉々に砕かれているところだった。
「僕たちが生死をかけた場所がね……。なんか涙が出てきた……」
全寮制の中で、1年生が先輩の身のまわりを世話する独特の「付き人制度」が苛烈な上下関係を生んだ。大袈裟ではなく、本当に1日を生き残るのに必死だったという。
「1年生は笑ってはいけない。調味料を使ってはいけない。風呂では桶もシャンプーも使ってはいけない。何が理不尽なのかもわからず受け入れるだけだったし、疑問を抱いているような余裕もなかった」
泣きながら「俺たち世間に帰れる!」
朝6時、先輩と同じ4人部屋で目覚まし時計が鳴らぬうちにそっと起きる。炊事をし、食堂では壁を背に直立不動で先輩のお代わり、お茶注ぎのタイミングに神経を尖らせる。最後に自分の飯を5分でかきこんで学校に走り、終業と同時に今度は寮に走る。練習を終えた夕刻、ヘトヘトの体で炊事、洗濯、夜食の用意やマッサージをし、禁止されていた菓子をこっそりと口に入れ、時計の針がとうに0時をまわってから泥のように眠る。体の上を這うゴキブリを払いのける体力さえ残っていなかった。
「実際に逃げた奴もいるけど、ほとんどは『絶対逃げたんねん』『明日、辞めたんねん』と言いながら、次の日にはまたグラウンドへ行く。年に一度の正月休みに向けた帰省カレンダーというのをみんながつけていて1日1日を塗り潰していった。帰る前の日には屋上で泣きながら抱き合った。『俺たち世間に帰れる!』って言うて。僕ら学園の外のことを『世間』と呼んでいたから」
待望の帰省。片岡は京都・久御山へ帰る前、梅田駅で立浪和義ら1年生の仲間と喫茶店に寄った。糖分に飢えていたからコーヒーには飲み終わったあとも分厚く堆積するほどの砂糖を入れた。実家の食卓では白米にこれでもかというほどマヨネーズをかけた。両手いっぱい菓子やデザートを抱えたが、なぜか、あの寮内でこっそり食べる時ほどの甘さも幸せも感じなかった。
「今、考えたらおかしいのかもしれない。でも当時はあの理不尽を乗り越えるからこそPLは日本一なんだと、だから夢が叶うんだとしか考えていなかった」