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「火中の栗」と言われても……。
卓球界の偉人がテコンドー協会会長へ。
posted2020/02/02 09:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Koji Fuse
家族には猛反対された。ある友人は「火中の栗を拾うようなもの」と引き止めた。それでも、木村興治は、昨年12月26日に全日本テコンドー協会の会長職を正式に引き受けた。
「もちろん熟慮したけど、何日も思い悩むことはなかったですね。卓球は来たボールをすぐ打ち返さないといけないので(微笑)」
現役時代の木村は卓球の世界チャンピオンになり、その後、国際卓球連盟の副会長を務めた、卓球界の重鎮。現在も日本卓球協会の名誉副会長を務めるなど、卓球の発展に寄与してきた。そのキャリアを見込まれたうえで、今回白羽の矢が立った格好だ。
「卓球を通して、僕は日本のスポーツの関係者とつながってきました。だからこそスポーツの心というものをつねに大事にしてきたという思いはあります」
スポーツの心?
「ハイ。フェアなスポーツマンシップの姿勢を維持し、一緒にプレイした仲間を大切にしてきました」
「スポーツの心」を共有していなかった。
今回のテコンドー協会の一連の騒動が起きた原因を木村は「スポーツの心を共有していなかったから」と分析した。
「思うに、テコンドー協会が若かったことも原因だと思う。日本卓球協会は昭和の初めにできたけど、当初は団体が大日本卓球連盟とか3つもあった。テコンドーは組織が分裂したりしているけど、そういうことは他のスポーツでもあるんです」
テコンドーが起こした騒動は今回が初めてではない。組織は分裂と統合を繰り返した歴史がある。
2004年にアテネ・オリンピックが開催される前、国内の組織は全日本テコンドー協会と日本テコンドー連合に分裂していたため、日本オリンピック委員会(JOC)は「国内競技連盟が統一されない限り、出場を認めない」という方針を示した。
2000年のシドニー・オリンピックで日本のテコンドー選手として初めてメダルを獲得した岡本依子は、世論の後押しとJOCの救済措置で個人資格を適用してアテネ五輪に出場していたくらいだ。