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アジア杯決勝、五輪世代と続く誤算。
森保監督への懸念は「兼任」である。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byGetty Images
posted2020/01/29 19:00
サンフレッチェ広島を3度のJ1王者に導いた実績、規律。それを思えば、森保一監督の手腕は確かなものがあるだけに……。
アジア杯決勝、U-22コロンビア戦も。
目立ったのは攻撃の個の強さよりも守備の強度だった。まるで猟犬のように前線からボールを追い、日本のディフェンス陣に自由にパスを出させないサウジのフォワードたち。続くシリア戦は、きっちりと対策を立てた日本が大勝するかと試合前は予想していたが、状況は変わらなかった。
シリア対カタール戦、サウジ対カタール戦の緩さ――国同士はあれほど仲の悪いサウジとカタールであるのに、試合はなぜか緩かった――に比べ、日本戦に臨む彼らの目の色が違っていた。
そのテンションを受け止めきれなかった日本は、A代表に比べ攻撃陣にタレントを欠くカタールと引き分けるのが精いっぱいだった。そこに森保の誤算があった。
これが初めてではない。アジアカップ決勝にはじまりU-22コロンビア戦、E-1の韓国戦と、同じ過ちを森保は繰り返している。
結果を出せなかった「実験室」。
もうひとつの誤算は、五輪本大会仕様のメンバーを組むことができず、この大会も森保にとってラボラトリー(実験室)になってしまったことである。
それでも森保には自信があった。同じようにして臨んだジャカルタ・アジア大会で、試合を経るにつれチームを劇的に変貌させ、規律に溢れた戦うグループに成長させたからだ。UAEのアジアカップも同じだった。試合をしながらチームを作りあげる。これまでの日本代表監督には見られなかった手法を、森保はとることができた。
だが、そのやり方が、今回は通用しなかった。
同じように主力を招集できなかった韓国も、事前の準備は入念だった。サウジも12月に集中的に合宿をおこなっている。五輪チケット獲得は、彼らにとってそれほど大きな使命であり、懸けるものも大きかったのだった。
それでは森保は、五輪代表監督として適任者といえるのか。
まず、はっきりさせておきたいのは、田嶋幸三・日本サッカー協会会長のような「オールジャパン」へのこだわりは私にはない。日本人であろうとなかろうと高いクオリティのスタイルを実現し、それを礎として日本サッカーの発展に繋げていければそれでいいと思っている。
その点で森保はどうか。
追求しているのは速さと強度を志向するスタイルであり、世界の現実に的確に対応している。また、選手にあまり教えすぎず、彼らに考えさせるようにしているのもいい。彼が日本人だからというのではなく、ポテンシャルを国際レベルで開花させて欲しいと願っている。