Jをめぐる冒険BACK NUMBER
タイ1部監督・石井正忠に聞く、後編。
給食センター勤務と鹿島で得た宝。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byNorio Rokukawa
posted2020/01/27 11:35
トレーニング中に笑顔を見せる石井正忠監督。鹿島で培ってきた哲学を、タイの地に落とし込もうとしている。
鹿島、欧州の試合を見て再び意欲が。
――どちらに行かれたんですか。
「ミラノへ行きました。佐倉にACミランのサッカースクールがあって、その経営を任されているのが私の高校の後輩で、『一緒に視察に行きませんか』と誘ってもらって。ミラン対ユーベを見て、チャンピオンズリーグのアタランタ対マンC(マンチェスター・シティ)も見て、冨安(健洋)選手のいるボローニャの練習見学もしました」
――現場に戻るというのは、コーチではなく、やはり監督として?
「監督として、もう1度戻りたいという気持ちでしたね」
――鹿島時代は優勝、大宮時代はJ1昇格というプレッシャーがあって、苦しい時期が続いたと思います。それでもやっぱり監督業に戻りたくなるものなんですね。
「鹿島の試合を見ていても、さらにレベルの高いヨーロッパの試合を見ていても、これをもう1回、自分の仕事としてやりたいと思ったんですよね。今回、まったく知らない国に来て、言葉も分からないけど、そこで自分の考えをうまく伝えられるようになったら、日本に戻ったときに、これまでとは違う指導ができるでしょうし、選手との接し方もワンランク上がるような気がして。指導者としての力がすごく付くんじゃないかと。それで、このチャンスを掴んで頑張ろうという気持ちになりました」
日本で指導していた頃と根本は同じ。
――選手との接し方で言うと、石井さんは鹿島のコーチ時代、選手たちのいい兄貴的な存在で、そのスタンスは監督になっても、そこまで変えなかったと思います。大宮時代や休養した昨年を経て、そのスタンスは、変わってきていますか?
「どうですかね。根本的なところは変わってないと思います。なるべく選手と一緒にチームを作っていく、というところは変わらず。でも、言葉の選び方とか、はっきりと、明確にしたほうがいいのかなとは。タイでは、言葉だけじゃ足りないので、事前に準備をして映像やパワーポイントで見せたり、これまでとは違う手法でやっていかなきゃいけないな、と思っています。
それに、こうしなきゃいけないというときに、はっきりとタイミング良く言う。今までは経験がなかったから、できなかったですが、前回と違って今回はできるようにしたい。それができなければ、また同じようなことになるんじゃないかな、と思いますね」
――鹿島で解任されたり、大宮でJ1昇格を逃したりしたショックや傷というのを、すぐに乗り越えられるタイプですか。
「まあ、そうですね。それは比較的早いのかな。じゃあ、今、何をしなきゃいけないかというところに自分の気持ちを持っていくようにしているので。あまり引きずらないではいますけどね」