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タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。
日本人指導者への期待と現地事情。

posted2020/01/27 11:30

 
タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。日本人指導者への期待と現地事情。<Number Web> photograph by Norio Rokukawa

タイのサムットプラーカーン・シティで指導する石井正忠監督。日本から飛び出し、新たなミッションに挑んでいる。

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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Norio Rokukawa

2015年途中から鹿島アントラーズを率い、翌シーズンにリーグ王者へと導いた石井正忠氏が、2020シーズンからタイ1部リーグのサムットプラーカーン・シティの監督に就任した。タイ代表の西野朗監督を筆頭にアジア各国に日本人指導者が渡る中で、石井監督は何を考え、タイの地で指導しているのか。前編では就任の経緯、現地での期待値、強化に向けての施策を聞いた。

――大宮アルディージャの監督を退任してから約1年休養されて、再び現場復帰に向けて動き出したとき、最初にオファーをくれたのが、このサムットプラーカーン・シティだったそうですね。

「昨年10月ですかね。勤めていたところを辞めて現場に復帰するための準備を始めた頃、オファーをいただいて。海外のクラブからオファーが来るなんて、考えてもいなかったので驚きました。オーナーの話を聞くと、私に興味を持っていると。

 日本人監督というだけではなくて、私個人に興味を持ってくれていると言っていただいた。『契約どうこうではなく、試合を一度見に来ませんか』と招待されたので、10月にタイに行って、試合を見たんです。ホーム最終戦でした」

――どんな印象を受けましたか?

「そのときの順位は6位で、ホーム最終戦のわりに少し覇気がなかったんですよね。なんでなんだろうなと。攻撃面はアグレッシブだけど、守備のところではもう少し組織を作ったほうがいいなとも。どんな選手がいるのかもチェックして、試合後、自分が感じたことをまとめてオーナーに渡して帰国したんです。まだ仕事がありましたから」

年齢的に、最後のチャンスだなと。

――その時点では、契約を決めたわけではなかったんですね。

「そうですね。ただ、実際に現地まで行ってみて、海外のクラブで仕事をするのもありだな、という考えになりました。でも、私ひとりでは決められないですから」

――ご家族のことですね。

「はい。海外からのオファーがあったという話は家族にもしていて、『それはありがたい話だね』と言ってくれたんですけど、実際に私が契約したいという気持ちになって、家内と娘に伝えたら、『まずはJリーグで仕事を探してほしい』と。小学6年生の娘からはLINEで『海外に行きたくない理由』が送られてきました(笑)」

――娘さんにとっては切実な問題ですもんね(笑)。

「それで、いったんお断りすることにして、Jリーグで探していたんですけど、なかなか決まらなかった。一方、サムットプラーカーン・シティも日本人監督と交渉していたみたいですけど決まらなくて、11月の終わり頃かな、もう一度、『まだ決まっていないなら、どうですか?』という連絡を頂いて。私も年齢的に若くはないですから、最後のチャンスだなと。

 家内もその1カ月の間にタイのことをいろいろ調べて理解を深めてくれて、私が単身赴任する形で、『チャレンジしてみたら』と背中を押してくれたんです。それで12月半ばから指揮を執っています」

【次ページ】 2017年、鹿島のタイ遠征での縁。

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