Jをめぐる冒険BACK NUMBER
タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。
日本人指導者への期待と現地事情。
posted2020/01/27 11:30
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Norio Rokukawa
――大宮アルディージャの監督を退任してから約1年休養されて、再び現場復帰に向けて動き出したとき、最初にオファーをくれたのが、このサムットプラーカーン・シティだったそうですね。
「昨年10月ですかね。勤めていたところを辞めて現場に復帰するための準備を始めた頃、オファーをいただいて。海外のクラブからオファーが来るなんて、考えてもいなかったので驚きました。オーナーの話を聞くと、私に興味を持っていると。
日本人監督というだけではなくて、私個人に興味を持ってくれていると言っていただいた。『契約どうこうではなく、試合を一度見に来ませんか』と招待されたので、10月にタイに行って、試合を見たんです。ホーム最終戦でした」
――どんな印象を受けましたか?
「そのときの順位は6位で、ホーム最終戦のわりに少し覇気がなかったんですよね。なんでなんだろうなと。攻撃面はアグレッシブだけど、守備のところではもう少し組織を作ったほうがいいなとも。どんな選手がいるのかもチェックして、試合後、自分が感じたことをまとめてオーナーに渡して帰国したんです。まだ仕事がありましたから」
年齢的に、最後のチャンスだなと。
――その時点では、契約を決めたわけではなかったんですね。
「そうですね。ただ、実際に現地まで行ってみて、海外のクラブで仕事をするのもありだな、という考えになりました。でも、私ひとりでは決められないですから」
――ご家族のことですね。
「はい。海外からのオファーがあったという話は家族にもしていて、『それはありがたい話だね』と言ってくれたんですけど、実際に私が契約したいという気持ちになって、家内と娘に伝えたら、『まずはJリーグで仕事を探してほしい』と。小学6年生の娘からはLINEで『海外に行きたくない理由』が送られてきました(笑)」
――娘さんにとっては切実な問題ですもんね(笑)。
「それで、いったんお断りすることにして、Jリーグで探していたんですけど、なかなか決まらなかった。一方、サムットプラーカーン・シティも日本人監督と交渉していたみたいですけど決まらなくて、11月の終わり頃かな、もう一度、『まだ決まっていないなら、どうですか?』という連絡を頂いて。私も年齢的に若くはないですから、最後のチャンスだなと。
家内もその1カ月の間にタイのことをいろいろ調べて理解を深めてくれて、私が単身赴任する形で、『チャレンジしてみたら』と背中を押してくれたんです。それで12月半ばから指揮を執っています」