“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
青森山田・藤原優大は泣かなかった。
「もちろんこの場所に帰ってきます」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/01/20 11:40
静岡学園FW加納に同点弾を許したシーン。青森山田DF藤原はその瞬間を振り返り、唇を噛み締めた。
青森出身の柴崎岳のように。
藤原の出身は青森県弘前市。小さい頃から青森山田は地元の象徴的なチームだった。裏を返せば、青森山田以外の県内高校に進めば、全国大会が遠ざかることになる。
「リベロ津軽ジュニアユースで全国を目指すか、青森山田中に行って全国制覇を目指すかの2択だった。でも将来を考えたときに目標を高くしないと、自分が望むものを手に入れられないと思ったんです。青森山田は中高ともに、青森県では絶対的な1強。同時にそこに行く事は相当きつい6年間になると誰もがイメージできる。だからこそ、『入る』という決断を下すには相当な覚悟がいる。
覚悟を持って来たにも関わらず、中学に進んでからは正直、何回も『あのままリベロ津軽で気心知れた仲間と楽しくサッカーをしていたらよかったのかな』と思ったことはありました。でも、苦しい時こそ自分の覚悟という原点に立ち返ることができた。
それに僕は青森県出身だからこそ、ここで6年間通して成長し、プロに行くことで弘前の子どもたちだけでなく、柴崎岳(現デポルティーボ・ラ・コルーニャ)選手のように青森の子どもたちに大きな夢を与えることができるんです。絶対にくじけたらいけないと思っていました」
青森山田の象徴的なOBである柴崎も、青森県野辺地町出身。県外から来る選手が多くいる中、地元の選手が青森山田で6年間、絶対的な存在として育ち、ロシアW杯に出場をした。柴崎の存在は藤原を始め、多くの同郷の子どもたちに夢と希望を与えた。同時に室屋成、神谷優太、郷家友太、そして武田など県外から来た選手の覚悟と成長も知っている。
プレーもフィジカルも成長した。
「青森山田中からサッカーを始めれば、高校の黒田剛監督やコーチが見てもらえるし、常にお手本となる意識が高い高校生たちと同じグラウンドで練習できる。本当に恵まれた環境だと思っています。僕も高校の先輩やスタッフに多くのアドバイスをもらっていたし、一緒にAチームの練習に参加させてもらったり、試合もさせてもらえた。高校の全国トップレベルを目の当たりにしているし、その人たちが見てくれているので、現状に満足している暇がないんです」
中3ではキャプテンとして主軸を張り、高校に上がっても順調に出番を掴んだ。だが、それでもCBにとしての覚悟が足りなかったことに気づいた。
「僕は競り合い、ボール奪取を求められている。高さだけでなく、自分のスピード、両足が蹴れることも生かせるという実感があるからこそ、青森山田のCBとしてどんな時も崩れない存在にならないといけない」
ボランチ時代から磨いていた利き足とは逆の左足のキック。両足で蹴れるようになったからこそ、左右どちらでもカバーの動きがスムーズにできる。シュートブロックも右足だけでなく、左足でもいける。CBとして自分がやれることが多い手応えと、青森山田の守備を司る者としての覚悟と自覚が、彼の成長速度を一気に高めていった。
ハイレベルなプレミアリーグEASTの激戦を重ねるごとに成長し、フィジカルもまだ細さを感じた春先から、ひと回りもふた回りも大きくなった。心身ともにCBとしてのスペックはこの1年で着実に増えた。