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得点王争いで独走するインモービレ。
ラツィオ、20年ぶりの優勝へ期待感。
text by
神尾光臣Mitsuomi Kamio
photograph byGetty Images
posted2020/01/18 09:00
前半戦20ゴールと好調を維持するFWインモービレ。ラツィオを20年ぶりのスクデットへ導けるか。
サラス、ビエリ、マンチーニ、ネスタ。
今から20年前、セリエAは名実ともに世界最高峰リーグの地位にあった。ラツィオはそのなかで権勢を誇っていたクラブの1つだった。
ボスマン裁定によってEU圏内外国人選手の自由移籍が可能となった90年代後半、当時のセルジョ・クラニョッティ会長はラツィオのメガクラブ化を図った。食品会社グループを抱えていた投資家は、当初は会長職をディノ・ゾフに任せて一歩引いた立場にいたが、'98年からは経営の前面に立つ。
クラブを株式上場させるとともに、国内外から他クラブが羨むような大型補強を行った。例えばマルセロ・サラス、そしてデヤン・スタンコビッチ、シニシャ・ミハイロビッチ、フェルナンド・コウト、さらにはイタリア代表のセンターフォワードに定着しつつあったクリスティアン・ビエリも呼び寄せた。
サンプドリアから移籍して2年目のロベルト・マンチーニがグループのリーダー格を務め、生え抜きのアレッサンドロ・ネスタが急成長中。スベン・ゴラン・エリクソン監督の下で堂々のリーグ2位となり、UEFAカップウイナーズ・カップで優勝。翌シーズンはスクデットも獲得してしまったのである。
だが、抱えていた大手食品会社が債務不履行に陥り、その影響はラツィオにも及んだ。戦力放出を余儀なくされることはもとより、選手の俸給も未払いになり、クラニョッティ会長はクラブを売却せざるを得なくなった。
倒産危機を脱し、育成路線に変更。
紆余曲折の末にクラウディオ・ロティートが会長となったが、その時にクラブの債務は1億1000万ユーロにも及んでいた。倒産危機に迫られるなか、ロティートはあの手この手の手段を駆使してクラブの存続を成功させた。
とはいえ補強路線に一線を引き、年俸にはサラリーキャップ制を敷いて支出を抑える。言葉は悪いが、低予算のケチケチ経営路線を貫いたのである。
そのためにサポーターからはよく批判もされたが、ただ金をケチったわけではなかった。チームの強化については6カ国語を駆使しコネクションを欧州全土に広げられるイグリ・ターレに全権を委任。彼の指揮の下で世界の様々な地域から優秀な若手選手を探すという路線を定着させた。