セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
実録・無法ウルトラスに潜入(5)
“反社”の奥底にある文化と純粋さ。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byTakashi Yuge
posted2020/01/09 11:00
レッジーナの伝説のリーダー、カルミネ。彼のような男でなければ、ウルトラスは機能しなかったのだろう。
イタリアのクルバは特別だ。
帰宅後に調べて、当時の都市国家メッシーナが共和制ローマの一部となったポエニ戦争を誇示する意味だとようやくわかった(つまるところ、“俺たちメッシーナは栄光ある古代ローマの時代から歴史があるんだ。すげえだろ”と威張りたかったのだ)。
世界史の授業を思い出した。
ウルトラスの世界を読み解くのに、歴史や教養、アイロニーの素養が必要になることがある。だから、僕はイタリアの横断幕やコレオグラフィーを、れっきとした文化だと考えている。
幸いなことに、僕はいろいろな国のスタジアムへ行く機会に恵まれた。
欧州5大リーグを始め、北欧デンマークから東はウクライナ、西はポルトガルまで。狂信的で知られるトルコや独特の雰囲気があるスコットランドにも通った。
だが、やはりイタリアのクルバは特別だ。
ウルトラスは少なからず反社である。
目を閉じれば、今でも南イタリアのゴール裏で殴り殴られ、揺さぶられながら歌ったチャントをそらんじる事ができる。
鮮やかな火花。さまざまな煙の匂いと大量の口笛に共鳴する鼓膜の痛み。
あそこで見たもの、感じたことを思えば、クルバは社会の掃き溜めかもしれないと思う。
デジタル・テクノロジーの進化とポリティカル・コレクトの潮流に乗るサッカーの世界は、クリーンな方向へ一直線に進んでいる。
日本的視点でいうなら、イタリアで「ウルトラス」と名のつくグループは少なからず違法活動に手を染める圧力団体であり、右派・左派を問わず政治活動と結びつきを持つ反社会的勢力だ。
実のところ、「熱狂的ファン」と「ウルトラス」の境目はどこにあるのか、横断幕やチャントの表現はどこまで許容されるべきなのか。そんな議論は、イタリアのファンの間でも絶えない。
ウルトラスのような前時代的存在は煙たがられ、少しずつ絶滅の道へ追いやられるのだろうか。