セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
実録・無法ウルトラスに潜入(5)
“反社”の奥底にある文化と純粋さ。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byTakashi Yuge
posted2020/01/09 11:00
レッジーナの伝説のリーダー、カルミネ。彼のような男でなければ、ウルトラスは機能しなかったのだろう。
カルミネが伝説となった大立ち回り。
カルミネの武勇伝で最も有名なのは、2000年秋に起きたブレシア戦での大立ち回りだ。
レッジーナがセリエAに昇格して2年目のシーズンだった。
「残留争いの直接対決なのにちんたらやっていて、頭にきたから」という理由で試合中にピッチに乱入したカルミネは、取り押さえようとするスチュワードや警官たちをベルトでぶちのめした。騒動を起こした他の20人とお縄になった後、4カ月間のスタジアム出入り禁止処分を受けた。
試合のある日曜日には、試合のある時間帯に3度警察署に出向き、署名する義務があった。サインが1度でも欠けると罰金300ユーロだった。
試合の間何をしていたのかと聞いたら、「海岸の散歩道を独りでぶらついてた」と寂しい答えが返ってきた。「スタジアムに近いから歓声が聞こえてくるんだよ。あんときはつらかったな……」
リーダーとしては純粋すぎるところがカルミネにはあった。
2002-03シーズンのホーム最終節で、試合終了後クルバに挨拶に来なかったレッジーナの選手たちに腹を立てた彼は靴を両方とも投げつけると、白い靴下のままフェンスを乗り越えてグラウンドに乱入した。
「何で来てくれないんだ! 一緒に戦った仲間だろ!?」とベンチ前に詰め寄った後、クルバに連れ戻された。
唇を歪め、子供のように泣きじゃくっていたカルミネを、スタジアム中が見守った。
激情家だからこそ、まとめ上げられた。
激情家だからこそ、複数のウルトラス・グループをまとめ上げることができた。カルミネには、ゴール裏スタンドだけでなくスタジアム中を巻き込むエネルギーと魅力があった。
他のメンバーと比べて大人になり切れていないようなところがあったが、グループの経理だとか実務的活動は、実生活でも卸業をしているらしい参謀役のチーチョが仕切っていた。
中心メンバーの1人、アントニオはスーパーで働いていた。僕と同じ市内のアマ野球クラブにも所属していて、ゴール裏以外でも球場で一緒に汗を流した。
手先が器用なポーランド移民のジュゼッペは、タトゥー職人だった。即席横断幕を作らせたら奴の右に出る者はいなかった。
下は14歳から上はアラフィフまで、ウルトラスの仲間たちは確かに粗暴で言葉遣いも荒かった。だが、皆それぞれに生活があり、家族があり、ゴール裏以外の人生があった。