ニッポン野球音頭BACK NUMBER
DeNA戦力外から社会人の頂点へ。
須田幸太が「自分の球」を諦めたとき。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKyodo News
posted2020/01/01 11:30
JFE東日本が都市対抗野球で初の優勝を飾った瞬間――その歓喜の輪の中心に、あの須田幸太の姿があった。
「“おれはプロだった”感」が滲む……。
元プロ――。
この肩書は、1年を通して須田につきまとうことになる。
社会人野球へと進む(あるいは戻る)際、心がプロ時代のユニフォームを着たままの選手は少なくないという。
須田は、社会人の他チームの選手に、プロから加入してきた選手についての印象を幾度か尋ねたが、「“おれはプロだった”感は出てますね」との答えを得て複雑な思いを抱いた。そして、自らはそうあるまいと思った。
「いまの若い子たちはすごく敏感なんです。うちは特に若いチームだし、そういうのを出しちゃうと亀裂のもとになりかねない。(元プロの)プライドは邪魔ですよね。プライドじゃなくて、経験値や知識、言うなれば野球学は伝えていくべきだと思います。こうなればこうなる、といった野球のマニュアルのようなものの何十通りかはわかり始めた年なので」
すすんで悪役にもなった須田。
都市対抗予選を終えプレッシャーから解き放たれたのを機に、須田の意識はチームに傾いていく。
最年長者として、おのずと指導者的な役割をも担うようになり、緩みを見れば投手にも野手にも厳しい声をかけた。時にはエアコンのつけっ放しを指摘し、「人からいいように見られたい」と思って生きてきた人間は、すすんで悪役にもなった。
「プロ野球選手は、どちらかといえば自分のことから入る。何勝したいとか、一軍に上がりたいとか。でも社会人はチームから入る。チームとして都市対抗で優勝したい、から入らないといけないんです。そこの違いは大きいですよね。予選が終わってからは自分のことはどっかに行っちゃって、『チームのためにどうしたらいいか』しか考えなくなりました。『自分がどうしたらチームがよくなるか』じゃなくて、『チームがよくなるためには自分がどうしたらいいのか』。番手が逆転した」
そう言って、笑いながら言葉を継ぎ足す。
「この1年、性格が変わったぐらい、いろんなことに気づくようになっちゃって。いままでは気にもしてなかったのに、常に後輩を観察してるんです。お、いい投げ方してるな。今日はサボってるなって」
唯我独尊の世界から徐々に離れ、須田の心にもあったはずのプロの覆いは一枚ずつ剥ぎ落ちていった。