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79歳名将も驚いた梅林優貴の急成長。
ストイックな4年間経て日本ハムへ。

posted2019/12/31 17:00

 
79歳名将も驚いた梅林優貴の急成長。ストイックな4年間経て日本ハムへ。<Number Web> photograph by Yu Takagi

梅林(右)のプロ入りを喜ぶ79歳の三原新二郎監督。「一軍でプレーしてほしい」とエールを送った。

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高木遊

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 彗星のごとく現れ、そのまま日本ハムのドラフト6位指名を掴み取った広島文化学園大の捕手・梅林優貴。その魅力は強肩だ。捕ってから素早い動作で投じる矢のような二塁送球では平均1.8秒台。捕手ながら俊足も武器だ。

 だが、高校時代まで県内ですら名を轟かせたこともなく、大学も4年間すべてを中国地区大学野球の2部リーグで過ごすなど日の目を見ない時期が長かった。

 父は巨人ファンだが、梅林は地元・広島ファン。幼い頃からテレビ中継はもちろん、前田智徳らが躍動する姿を観に広島市民球場へ足繁く通った。小学5年生の頃に近所のチームに入ってからは捕手一筋で、憧れの選手はずっと石原慶幸だった。

 ただ、3月14日生まれで成長も遅かったため、中学入学前は144センチ35キロ。背の順はいつも一番前。地元のボーイズリーグ(硬式)のチームの体験練習に行ったがレベルの違いを感じて、中学の軟式野球部に入部したほどだった。中学3年間は県大会はおろか市大会に進む前の区大会止まりだった。

 それでも中学3年間で30センチ身長を伸ばした梅林は、甲子園3度の出場歴がある広島県立高陽東へ入学。当時から既に自主性を重んじる指導方針になっていたこともあり、それも上手くハマった。2年秋から正捕手となると、最後の夏は県8強。満足している仲間たちもいたが「僕はそれがまったくなくて、涙も出ませんでした」と振り返り、雪辱を期して一番最初に声をかけてくれた広島文化学園大に進んだ。

79歳、甲子園準優勝2回の名将。

「高校ではそんなに目立つ存在ではなかったんですよ。少し肩は良いかなというくらいでね」

 そう語るのは三原新二郎監督、79歳。広陵、福井工大福井、京都外大西(京都西時代を含む)で甲子園出場14回。広陵時代の1967年と京都外大西時代の2005年に夏の甲子園準優勝を果たした。2005年は駒大苫小牧2年の田中将大(ヤンキース)が胴上げ投手になった際の対戦相手だった。

 そんな経験豊富な名将の目にも入学当初の梅林は、際立って光るものを感じさせなかった。だが、梅林は4年間で急成長を果たす。その裏には「4年間で遊びに行ったことはほとんどない」というストイックな生活があった。

【次ページ】 授業、練習、ジム、バイト。

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