ニッポン野球音頭BACK NUMBER
DeNA戦力外から社会人の頂点へ。
須田幸太が「自分の球」を諦めたとき。
posted2020/01/01 11:30
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Kyodo News
「普通の人でいたかったです」という言葉を残して横浜DeNAベイスターズを去った男が、社会人野球に身を投じ、都市対抗野球で日本一になって、そのゴールラインを見事に野球選手としてのスタートラインに変えてみせた。
プロ野球を辞した者が、社会人野球で頂点を極めることは、滅多に無いドラマである。須田幸太、32歳――その復活ロードの足跡を辿った。
プロ野球を辞した者が、社会人野球で頂点を極めることは、滅多に無いドラマである。須田幸太、32歳――その復活ロードの足跡を辿った。
外角球にジャッジを下した球審が、体をねじり突き上げた左拳。
ミットに白球をつかむや背後に「ストライク」の声を聞いた捕手が掲げた右拳。
そして、145km直球の行方を見つめていた投手が高速で天を打った右拳。
主の異なる3つの拳はまったく同時に繰り出された。
7月25日の東京ドーム。第90回都市対抗野球大会でJFE東日本が初優勝を決めた瞬間だ。一瞬の精緻な構図は、直後、四方から駆け寄ってきた選手たちによってもみくちゃにされた。
さすがに予想できなかった。
2019年、都市対抗決勝戦の最終回のマウンドに、喜びの輪の中心に、まさか須田幸太がいようとは――。
終わりを始まりにしていた須田の歩み。
今年はじめ、須田に話を聞き、記事を書いた。
8年間にわたり在籍した横浜DeNAベイスターズでの記憶をたどる、簡潔にいえば「終わりの物語」だった。読者からの反響は想像を超えて大きかった。記事は図らずも、ベイスターズを去る際に引退試合をしなかった須田の、プロ野球選手としての終止符となったのかもしれなかった。
次々とアップされる新着のコラムに押しやられ、記事が人目につくことも少なくなったころ、社会人野球に場を移した須田の名も緩やかに遠ざかっていくのだろうと思っていた。
だが、ゴールテープとスタートラインは往々にして重なる。
終わりを始まりにした須田の歩みは、いつしか加速した。急な勾配をいっきに駆け上がった。息切れを忘れた夏、ついに頂の上に仁王立ちした。
本人でさえ「まさか」とこぼす1年に、いったい何が起きたのだろう?